2019年04月29日

かつて平成の時代に「出日元年」という元号があったのをご存知か?

FullSizeRender新元号に沸き立っているときに不謹慎かと思ったが、明後日よりは良いかと思ってね。

写真は、今は亡きウチの分社伝説のDTP.DPT.(ディティピ・ディピティ)の年賀状。

日付は「出日弍年*」とある。
FullSizeRender1998年の年賀状だ。
DTP.DPT.(1997春)が出来て初のお正月、1998年。

そのココロは? 隅に小ちゃな文字で記してある。
「*出日弍年(でてひ2年/平成10年ではなく、元号は自分達ので勝手に決めようという運動の一貫です)
(アレ! 誤植発見!今頃)

因みにこの年、私個人の年賀状は確か「吉性元年」。
ブラザー印刷発の年賀状は?、、、忘れた。

当時、平成も10年経って、未だ元号年と西暦のちっやな混乱がある。
平成が30年経った今でもあるよね。平成+1988=西暦だとか、平成−12=’西暦とかね。
どーせ混乱してるんだから、との悪ふざけだったのかも知れませぬ。

この運動?は2~3年で終わったけどね。

新元号元年に合わせてオリジナル元号にするなんて考えませんよ。
わたしの悪ふざけは、そんなに安くない。薄くない。はは。

でも、結婚した年に、二人だけの元号作ったりも良いもんだよね。
FullSizeRender  

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2019年04月26日

カラーボールを車にぶつけたくなるほど。

IMG_3652通勤途中に突然の豪雨😅
徒歩の私は、リュックを腹面に移動させ、小さな折りたたみ傘でしのいで歩く。

それでも濡れるし、歩きにくいのだが、それはそれで徒歩の醍醐味?

ただ頭にくるのが、車のハネ。
水しぶきを上げて横をすり抜けていく。

腹をたてることのない私???だが、これだけは許せん。
カラーボールでも持って車にぶつけたくなるほど。
届かないか。

ホント最低の奴らだ。
そのことを人に話そうもんなら、
「クルマに乗らないあんたが悪い」
なんて反応なもんだから、また腹がたつ。

そう思いつつ、通勤。

会社に着く頃には、雨は上がって晴れ間も。





87歳が暴走して、妻子を殺した。
パニックになって、ずっとアクセルを踏み続けていたらしい。

ハネを上げて平気な奴らは、高齢者の交通事故の問題も、
「お年寄りの運転問題を家族で話そう」
〜なんてクソ解決策を唱えるんだろうね。

政府も、「認知症検査をする」なんてあり得ない解決策で事足れりとしている。


問答無用で、60歳で再試験すればいいよ。
65歳でもいいよ。
何か問題ある?  
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2019年04月25日

TOYODA 挙母 トヨタ

IMG_36314/25、岡崎商工会議所情報文化部会の視察会で、トヨタ博物館に行ったよ。

同じ長久手市にある、愛知県立芸術大学を訪ねた後。


IMG_3632写真はホイールキャップ。
TOYODA、「Model AA 1936」とある。

そう、1936年は「トヨダ」だったのだ。
豊田(とよだ)自動織機の作った自動車なのでね。

IMG_3630この「Model AA 1936」、トヨタ博物館見学コースの冒頭に展示してある。

その後、マークの公募で選ばれたのは「トヨタ」。
翌1937年自動車会社設立時は、「トヨタ自動車工業株式会社」となった。

名前のエピソードとしては、所在地。

従来「挙母市」(ころもし)と呼んでいたものを、1959年豊田市(とよたし)に変更した。
現在、トヨタ自動車の本社の住所は、愛知県豊田市トヨタ町1番地である。


ちなみに、豊田家の歴代社長の苗字は「とよだ」と濁る。  
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2019年04月23日

今年も、総会があります。

FullSizeRender朝イチで、岡崎・幸田更生保護協力事業主会理事会。

私は保護司じゃない。
更生保護協力事業主会の理事。
保護観察を受けている人を雇っているわけでもない。
そちらは、岡崎保護区協力事業主会。
保護司の方は、岡崎保護区保護司会。

その3つの会の合同会議。

議題は、平成31年もとい令和元年6年18日13時からの総会に向けて。

従って、総会のタイトルも「岡崎・幸田更生保護協力事業主会・更生保護協力事業主会総会」と長いものになる。
昨年は、閉会の挨拶で名称を間違えないように、緊張してやったものだ。

今回、会場は岡崎市福祉会館6階ホールと、広〜い会場になってしまったんで、総会も含めて講演会に動員をかけないと寂しいものになるかなと、ここで募っておこう。

ところで「令和」訂正にも迷うなあ。
下部が縦棒かチョンかだけでなく上部もチョンか横棒か?

フォントに任せりゃいいんだけど、手書きはね。  
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2019年04月11日

米山奨学生オリエンテーション

IMG_35532019年度米山奨学生オリエンテーションがナゴヤキャッスルプラザで開催。

我が岡崎城南RCの次年度、私は米山記念奨学会委員長を仰せつかっているので、そのお役目出席。
米山記念奨学会は、東アジア・東南アジアからの留学生から奨学生を選び、支援している。

奨学金と言っても苦学生向けでなく、大学院生でしっかり研究・勉強の環境にいる優秀な学生が対象で、日本語のマスター度合いも半端ない。

今岡崎城南でお世話している2018年度米山奨学生のカン・メイキーちゃんも、マレーシアからの優秀な学生。
母国語は「マレー語」なんだろうけど、公用語は「英語」、中国系マレーシア人ということで「中国語」、「日本語」もネイティブに近いところまで話せるようになってきている。
ということは、4か国語。
バイリンガルどころか、トリリンガル、いや「ポリグロット」だ。

この日集まっている約40名の新米山奨学生も、それに近い学生が多い。
すごいなあ、刺激される。


この奨学金制度の目的に、日本との交流、そしてロータリーへの理解を深めるということがある。
能力のある人をさらに伸ばし、その彼らに日本との絆を深めて行ってほしい。
それが世界平和への架け橋となる。

やっぱ、世界平和でしょ。

今回、それにたがわぬ新奨学生の志の高さに触れるにつけ、おじさんいやおじいさんの私も、血の滾る想い。
まだまだ私も、って感じね。  
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2019年04月10日

寒のもどり

IMG_3547暖かくなって、日向じゃなくて日陰で、バスを待つ。
なんて書いたり、
桜も満開の週末と書いたばかりなのに。

一転、今日は一日、冷たい雨☂️
雨は上がったが、散った花びらの花見となった。

でも晩酌は、焼酎のお湯割りでも熱燗の酒でもなく、赤ワイン。
続いてるよ。
  
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2019年04月09日

じんどばしわたれ、わたれ、わたれ

IMG_3532 来年、令和2年3月完成の人道橋(桜城橋・さくらしろはし)。

工事中を特別に渡らせていただいた。
岡崎商工会議所企画政策委員会の、乙川リバーフロント整備地区・セントラルアベニューエリア視察説明会。

篭田公園は今年の7月にも整備完了。

夕方からのロータリーの例会で「人道橋渡ったよ」と報告したが、信じてもらえたかな?  
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2019年04月06日

金曜日に金時計

IMG_35144月5日17時より、ニューグランドホテルで、愛知県印刷工業組合岡崎支部の平成31年度総会。

岡崎の桜のど真ん中で開催の、平成最後の総会。

愛知県印刷工業組合の細井理事長も来賓出席、早めに来られて桜を楽しんだようだ。

この会恒例の高齢会員に記念品贈呈。該当者は独り私。
古稀の祝いに、金時計を頂けた。

30年ほど前には、私の父も貰っていて、親子受賞ってこと。  
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2019年04月05日

日陰日和

IMG_3501IMG_3502今朝は妙に暖かい。

日向のバス停よりも、コート無しでも、日陰を選択したよ。

まるでかくれんぼのような写真。

今夜は岡崎印刷組合の総会。

会場前の岡崎公園は、夜桜満開。かな?

名古屋から、愛知県印刷工業組合の細井理事長も来られるので、満開だと思ういいな。  
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2019年04月04日

Don't Rest In Peace.

FullSizeRender<内田也哉子謝辞全文>
私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。けれどそこは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間にも満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也」ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。 率直に言えば、父が息をひきとり、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。
 「これ以上、お前は何が知りたいんだ」
 きっと、父もそう言うでしょう…。
 そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、多分、大袈裟に言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。
 「これ以上、生きる上で何を望むんだ」
 そう、聞こえてきます。
 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに…」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、メオトの取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。けれども、真実は、母がその在り方を自由意志で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。
 二人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した二人。私という二人の証がここに立ち、また二人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!
 79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。
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Fuckin' Yuya Uchida.
Don't Rest In Peace.
Rock'n'Roll.
  
Posted by brother_p at 14:00Comments(3)