「森のフォーチャ便り」171号に、「讃歌」などと本当に面映い文章を書いていただいた。
余りの感激に、ここに厚かましくも掲載させていただく。
これも自身の記録としてもね。
黒田悦司氏・稿
能力開発171「畏友岡田吉生讃歌・人生は挑戦の連続だ」
■天命舎訪問
畏友岡田吉生氏が12月1日にブラザー印刷株式会社を卒業した。4日に茨城県の天命舎まできてくれた。一週間の滞在、次なるステージへの準備体制を整えるらしい。振りかえると私が岡田さんにお会いしたのは1987年の西順一郎先生が主催して下さった熱海赤根崎ホテルでの「脳力開発研修」ではと記憶している。その時、初代社長岡田康孝氏と一緒に参加して下さった。 吉生氏は当時企画室長だったらしい。当時の記念写真を見ると、お二人の姿が映っている。
■康孝社長・一秀社長の思い出
1951年以来、黎明期の営業拡大に尽力され、ブラザー印刷の強固な土台を築かれ、40年社長続けられた岡田康孝社長は、私とお会いして以来「脳力開発」の実践普及に力を尽くしてくださった。岡田吉生氏が愛環塾を若手経営者と立ち上げて、私を「脳力開発」の講師として支援してくださり、長期にわたり交流が続いている。1991年康孝社長から社長を引き継がれた父上一秀氏にも、非常に可愛がっていただいた。頂いた富士山の紙漉絵を飾っている。また、書いていただいたサミエル・ウルマンの色紙「青春」も飾っている。
■「一本の鉄筆」
「一本の鉄筆」という小冊子がある。父上が書かれた「創業の思い」である。中学以来、太平洋戦争をはさんだ時代の状況も含めて、父上が「どう発意し志し、生きてきたのか」が詳細に綴られている。自らの心の襞を丁寧に描かれている。兄康孝氏を敬愛する姿、大学を中退してまで創業に協力された一秀氏の弟さんの姿が丁寧に描かれている。
人間の生きていく姿や、シベリアに抑留されていた兄康孝氏の帰国と同時に岡田吉生氏が誕生した喜びも綴られている。吉生氏の名前は、「舞鶴」に帰国された兄康素氏を迎えに行ったこのよき日、「吉日」の父として留守の間に生まれた長男の名前を吉生と名付けられたのだ。「ブラザー孔版社」創業までの人間の誠実な切なる思いが描かれている。まさに「創業の思い」が描かれている。岡田吉生氏の名前のいわれはここにあった。
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