ものを観る。
父の墓参りに行った。
5年前に亡くなった父の墓参り。
(「えっ!? 岡田さんって墓参りをする人なんですか?」という質問には、顰蹙を買いそうなので「ノー・コメント」とさせていただく。)
墓石には「清浄観」と刻してある。父の字だ。
「清い、汚れなき心でものを観る」という意か。
社長を継いで5年。いろいろな事が起き、報告すべき事も多々ある。
報告すること、お願いすること。例えば「見守ってください」とか、「叶えてください」とか、お参りとはそんなことかしらと、お参りに慣れない私は思っていた。
手を合わせると、そんな思いもすべて消えうせて、真っ白になった。
なにも告げず、なにも願わず。心にひとつの言葉も無く。
いまの自分そのままを預けたような感覚。
「清浄観」。
Posted by brother_p at 19:21│
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最近、一文いれて、詳しいカキコミは後からなんで、2回見るはめに。うむ、これも手だな。勉強になった。
で、この文字は「清浄観」
>手を合わせると、そんな思いも消えうせて、真っ白になった
これって、わかる気がします。
その瞬間が正に清浄観というわけですね。
僕も墓まいりに行ったけど、手を合わせたら
死んだばあさんが着物まくっておしっこしている姿が浮かんできた。
僕のこれって、正常かん?
後だしは優れたテクですね。14日「写真、左がたちうお」ONLYには、
随分笑わせてもらいましたの盆盛り、皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか?
ウチは祖母の初盆で、ガミガミとワタシを怒る祖母がいなくなったと思ったら、
伯父に乗り移っていて、精神性の連鎖を感じました。
※「乗り移っていて」とは、祖母に代り伯父が文句を言い始めた、ということですが、大した追伸でもなかった。
「写真とワン・フレーズ・キャプション」も
やってみたい「コト」なので、
つい欲張りして……。