2006年09月04日

忙しなさは、9月またぎ。

井上KK9月2日のアド井上経営計画発表会は、とどこおりなく立派に終わった。
その後のパーティーの席上、乾杯の音頭を頼まれた私が壇上から見渡すと、井上社長のほっとした笑顔が印象的だった。
私(師匠?)を呼んで緊張の発表会だ、といっていたのもあながち誇張ではなかったようだ。

甲府の帰路は夜名古屋に立ち寄り、岡崎の連中と飲食。
金沢料理の梅鉢亭、金沢まいもん寿司。まいもんは金沢弁か。

深夜に帰って、翌3日は、RCの早朝草刈をサボり(内緒)、午後は社屋見学者来訪。
20年前よりいろいろ教えていただいているKURO田さんが会社を見に来てくれた。
黒DAさんの仕事は、会社や個人の理念作りの支援業。
また、建築プロデュースの仕事もされている。
それで、そんな師匠の前での(新社屋)発表?だったので、軽い緊張。井上社長みたい。
でも及第点がいただけたようだ。
外見だけでなく、社屋の理念作り、コンセプトづくりから固めたところなど、高得点をいただけたようだ(と推測)。

日本海夕方、茨城へ帰るKURODAさんを送りがてら、一杯やろうと駅裏のオカザキング会員の店「ととや」「バードスペース」を訪ねたが、日曜定休。
なんだよオカザキングで確認もしない社長!?

しょうがなくといった感じで、駅オモテの居酒屋「日本海庄や」に行くことにした。
と、決心して、あ!
「日本海庄や」のあるところは、57年前に私が生まれた場所である。
55年前にブラザー孔版社創業の地である。
なんというめぐり合わせ。
その後わが社は南へ南へと移転を繰り返し、5度目の移転で現在地に至ったのである。

蛇足ながら、
わが社が引っ越す度にそのまわりは不思議と発展をする。にぎやかになる。
前回のイオンSCなどは特に。
自分ちは発展しないが、まわりは発展する。
福の神のようなB社。

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