2011年04月26日

春咲の丘のシンボル

ベイケ(柱町福部池)の周りの針崎町が春咲町となり、いつの間にか「春咲の丘」の呼称となったようだ。

その丘にクラシックな建物がある。
壊さずに残され、シンボリックな存在となっている。
旧制二中(現・岡崎高校)の講堂が、日清紡績針崎工場内に移転保存してあったのだ
no title50年も前の話なんだろうか。

その講堂、「春咲の丘」にふさわしく、ピンクの彩色。
これも今回の街づくりの中で塗られたのではなくて、もともとこの色だったというのがステキじゃありませんか。

弊社の漆黒+ピスタチオともよく似合う。

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この記事へのコメント
地名表示をそんなに簡単に変えて良いの?はりさきがはるさき。
Posted by マイタイ at 2011年04月26日 16:02
元は4万5千坪の日清紡績針崎工場の土地。
それが住宅と中学校と医師会館になる計画。
その土地は複数の町名にまたがっていたので、この際ひとつにまとめるべえとの行政からの働きかけだったと思う。
その時、ブラザー印刷はどうしますか?と問われたが、「うちは…

と書きかけて、長文になりそうなので、ブログ本文にて。
Posted by 伝道メーメー at 2011年04月26日 17:02