2015年06月13日

ブラザーの名前の由来

外観西南面私のブラザー印刷勤続40周年を期して、ブラザー印刷の名前の由来をお教えしよう。

今から65年前だから終戦後、名古屋から岡崎へと居を移した先代兄弟は、印刷業を始めた。
ところが、岡崎には老舗の「岡田印刷」さんがあり、「岡田」を名乗れぬ我が岡田は「ブラザー孔版社」という名前で開業した。
昭和26年のことである。

場所は、東岡崎駅前の今の山七ビル「日本海庄や」のあるところ、古い方なら東海銀行のあったところという方がわかりやすいか。

なぜブラザーか?とよく聞かれる。
ブラザー工業の子会社かという恐れ(疑い)には、ウチが親会社と答えているが、真相は。

先代兄弟(父と叔父)が名古屋時代住んでいたのが堀田、ブラザー工業のお膝元だ。
そこで、安田兄弟を身近に感じて育った岡田ブラザーズは、あやかって「ブラザー孔版社(のちのブラザー印刷)」と名乗ったのだ。

ブラザー孔版社は、というか岡田兄弟はハイカラ志向?のようで、カタカナ名前もそうだが、3年後法人化して株式会社となったり、名古屋営業所も即開設したり。

60年以上経っても今だに、名古屋営業所を設けている岡崎の印刷会社は、現れていない。
そんな気質は私にも受け継がれているような気もするにゃ。

後に知ったことだが、「岡田印刷」もウチもルーツは岡崎の北部「畝部」にあったようで、その後地元で営々と地盤を築かれた岡田さん、名古屋に移り岡崎に舞戻った岡田さんは、同じ檀那寺だったのだ。

写真は、今は見ることができなくなった現社屋の後ろ姿。
住宅に囲まれ、この勇姿?は隣接住宅の北の窓からうかがわれる程度となっている。
残念ながらね。

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