誕生日にはfacebookに「お誕生日おめでとう」の嵐。(ってほどでもないか)
小中学校同級生の新美くんからの誕生日メッセージには、小学校のころの写真が添付されていた。
確かに小学生の私が写っている。
新美勝久くんも写っている。
なんか、妙に懐かしくなった。
珍し。
傍らに写ってる美人さんは母かな?
女の子は妹かな?
って、60年近い歳月を遡って見る。
新美くんは電器店の息子さんだった。
中学校の時、とんでもないテープレコーダーを持って来た。
当時、昭和38年(1963)頃、テープレコーダー(テープコーダーと言ってたかも知れん)は売られていたが、新美くんの持って来たのは、「ステレオ」。
蓋にもスピーカーが付いていて、本体内蔵のスピーカーとで「ステレオ」になる代物だ。
それを、放課後によく聴いていた。
その影響が多分強かったと思う。
高校生になってから、多重録音をはじめた。
やった曲はアニマルズの「朝日のあたる家」(1965)とか「砂に消えた涙」(1964)ほか。
でもまだステレオテープレコーダーがおいそれと手に入る時代じゃない。
それも高校生。
モノラルの安いテレコ(なんて言ってなかった?)を2台用意した。
1台に録音したものを内蔵スピーカーで再生し、それに合わせて歌い演奏したものをもう1台で録音する。
これで2重録音となる。
それを繰り返し、多重録音となるのだ。
朝日のあたる家、オルガンは家にあった足踏み式、ギターはたかちゃんにもらったクラシック・ギター、ピックは下敷きを切ったもの。
エリック・バードンの迫力の「A」のハイトーンはとてもじゃないが出ないので、キーを下げて。
耳コピのコードはめちゃくちゃ。
それでも曲が仕上がった時はうれしかったなあ。
その後、機材も良くなって、「打ち込み」(MIDI)なんてのも出てきて、出来は良くなったけど、あの時の感激には到底及ばない。
新美くんから始まったと言えるかも知れない。