2018年12月28日

教育と言う名の暴力、愛と言う名の暴力

FullSizeRender「今は時代が変わった」「昔は普通だった」

議論の中でこの言葉を使われるとむかつく。
暴力肯定派の口から出るのはまだ許せる?が、暴力否定派から語られると何なんだろうって。

近頃、2018年振り返りの番組がある。
「え? 星野さんが亡くなったのは1/4?」
今年のお正月に亡くなったんだと、もう一年前だ。

星野信者ならずとも死を惜しまれる人なんだと、その時感じた。

今生きていたら「星野仙一は何を語るんだろう」、「何を言うんだろう」って興味がわいてくる。

亡くなったころから、日大アメフト、女子レスリングと日本のスポーツ界の暴力・パワハラ問題が続出し、年末に来ても収まる気配がない。
逆に日大アメフト問題は、T理事長の持久作戦(無視し続ける)に軍配が上がりそうになっている。

そんな今、「愛ゆえの暴力」の権化の星野さんが生きていたら、何を語り、どう取り上げられたんだろうと興味絶大だ。
世論も変わるんじゃないの?
たくさんの信者を持っていた人だし。

そう言った意味で、死が惜しまれる。