
その内の1本は、2000年4月父が逝去した後に母が鎮魂の想いを込めて植えたもの。
父の亡くなった年は桜が遅咲きで、4月になってもなかなか開花しなかった。
ところが、亡くなってすぐ桜は咲いた。
それを母は父を偲んで、
「天国に還りて桜の雨降らす」(多分、こんなだった? 調べてみよう)
と、詠んだのだ。
植樹のことを、三橋美千子さん著「葵桜誕生秘話」に母が寄稿している。
この文末に掲載して置くので、読んで欲しい。
(一昨年のブログには、写真で載せた)
一昨年は、車椅子の母と妹と私で花見に来た。
すると、桜並木沿いの三橋さんのガレージを開放してバザーをやっていた。
そこで、三橋さんは久しぶりの対面をした。

コロナで、自粛。
バザーは今年もやっていたが、三橋さんは昨年亡くなっていた。
母も行けず、もう二人は会うことはない。

母が「私も行きたかった」と言ったら困るな、と思いつつ行った。
「外は病気が流行っていて、外出できないよ」と言い訳を考えつつ。
それも杞憂というか、母は桜が何やらわからないようだった。
でも、元気そうだった。
「葵桜に亡き主人を偲ぶ」
明大寺町 岡田后代(岡田美代子・筆者注)
(三橋美千子さん著「葵桜誕生秘話」への寄稿文、原文のまま)
葵桜が植えられて、はや5年目になりました。今年は皆様持望の桜が、85本見事に咲き揃いました。これはその間の三橋さんをはじめその他の方々の大変なご苦労があってのことで、そのご努力には本当に頭がさがります。私も、是非子供や孫達を呼んで、お花見をしたいと思います。この植樹のお誘いを受けた時、私は即座に植樹の申し込みをしました。
その直前の2000年4月4日に夫一秀が他界しまして悲しみに打ちひしがれていた矢先でしたので、その鎮魂のために是非植樹をしたいと思ったのです。夫は桜が大好きで毎年の岡崎公園の桜見は欠かした事がありませんでしたし、英カントリークラプの桜の見事さもその都度私に話してくれていました。そんな夫の想いがこの木に宿るように願いを込めて植樹をしました。
一か月に一度の草刈りも、暑い夏のさなかの辛い時も、早く大きくなって、早く番がつくように、早く花が咲いてと願いながら、いつしか四年の月日が過ぎました。今年も元気に咲いてくれたこの桜の成長を見守りながら、夫との思い出に浸る今日この頃です。