というわけで、やっとこさ報告書を纏めたのだが、まあはかどらない作業だった。
それ以前も、「会社の歴史をまとめる」という仕事もいただいていたのだが、これもやっとこさ作業だった。
はかどらなさとの闘い(大げさ)だった。
社長を辞めて気が緩んだという訳ではないが(訳ではあるが)、なんか行く手を阻むものが生まれた。
それは、物を書くとか、纏めるとか、そういったことを妨げるものが。
近頃思うことだが、どうも文章が下手になったような(前から下手だった?)、どうもしゃべるのも下手になったような、そんな自覚が甚だしい。
あらためて、ちゃんと書けるようになりたい、わかりやすくしゃべれるようになりたい。
そう思って、ブログも書き続けたけど、かなり無理やり。
それも力尽きて、今月は5月3日以来3週間書いてない。
10数年書き続けてきた中で、久々のスランプ。
そこで、今書いているのは復活の狼煙なのだ。
そう鼓舞する意味がブログにあるのか?
確かに文章を書き続けること自体は、衰えを防ぐ意味も含めて必要。
ブログも、blog、Twitter、Facebook、youtube、instagram、と来てまたもやTwitter。
時代遅れと言われようと、多少まとまった時々の文章書き続ける意味はある。
読者も激減してしまったが、自分のために書いて行けばいい。
その時、なにをしていたか、何を考えていたかを記すことに意味を求めてね。
間違いやフェイクを書くことになってもね、それを記録したい。
これだけ大げさな宣言をしておけば、再開・再建できるだろうね。
長文になってしまった。
やはり文章ヘタ、そして乱暴。
という訳で、またブログは続く(はず)のだが、最近の書かれていない日々は、書かなかった日の夏休みの宿題の日記の如く、後付けで埋めていくつもりだ。
3年前の事件?のころの空白もまだ埋まってないのに。