2021年07月20日

「道・終わりかと思ったら、まだ途中だった」

FullSizeRender仏壇の父と弟。
向かい合わせで、納骨を待つ母の遺影。

その仏壇の前に「道」と書いてあるカード。
「道・終わりかと思ったら、まだ途中だった」

父の字ではないし、弟が亡くなった時に遺したのか。
市販のカードのようだ。
弟が気に入って手に入れたものなのだろう。

でも父も弟も、「途中」だと思ったが「終わり」だったようだ。
謎かけのような言葉。

FullSizeRender母の遺した亡くなる4年前頃に書いていた日記。
震える手でたどたどしく書いている。

2016年の12月28日の記、明けて2017年1月1日は実家に親戚・孫たちの集まる日、楽しみにしている様子。
「美容室に行った」心躍る出来事が書いてある。

1月2日、ごちそうのお寿司屋さんへの支払いを気にしている文で、絶筆。

年が明けて、母の体調は悪化して行く。
でも、これこそ「まだ途中」なのだが、今となっては終わってしまった。

いいや、本人は終わってしまったのだが、実は「まだ途中」なのでは?
謎かけ。
来世があるってことじゃないよ。(あってもいいけど)
本人にとっての人生は一区切りなのだよ。
生きてるか死んじゃったかは、「遺された人たち」の問題。

つまり、美代子さんは亡くなったけど、私の中では生きている。
だから、父一秀さんも、弟起佳も、亡くなったけど私の中では生きている。
「まだ途中」の3人が居る。

じゃあいつ死ぬの?って。
遺された人つまり私が亡くなるときに、一緒に死ぬんだね。

そして私は、遺された人の中で生き続ける。
これが、謎解きの答えかな。

「道・終わりかと思ったら、まだ途中だった」


この記事へのコメント
いま、佐伯啓思の死にかた論を読んでいます。
また、会って話したいね。
しみじみしている。
Posted by 天命舎 at 2021年07月21日 19:31
そうですね。
お話を伺いに行きます。
Posted by 伝道老後 at 2021年07月22日 14:30