2021年11月02日

「前進のみ」吉生 ー最後の授業

(続クラス会「60年ぶりに、三田(さんだ)が揃った。」より続く。)
FullSizeRenderIMG_1502小学校卒業60年後のクラス会。
原田先生の最後の授業のようだった。

先生は、ご自宅に保管されていた絵を持参された。
それは60年間前、教え子のそれぞれが描いて残した自画像と言葉。
ずっと先生が保管して行くつもりだったのが、この機会に教え子に返却。
みんな「こんな絵を残していたんだ」と驚きの中、授与式。
先生は、教え子に一言ずつ声をかけながら、手渡しをした。

まさに60年後の小学校最後の授業。

私も2021年から60年前1961年12歳の頃に戻り、第二の人生?をスタートしようとしている時だけに、まさに卒業。

そして私の描いた絵だが、絵は置いといて「前進のみ」の言葉。
なんと柄にもないことを書いている。

同じ頃の出来事、思い出すのは母のこと。
私の小学校卒業の時、それぞれが卒業文集か何かに「将来の目標」を書き記している。
私の書いたのが「ガリ勉にはなりたくない」だった。

それを見た母が
「将来どうなりたいというところに、「なりたくない」なんて否定的な言葉を書くなんて」
と珍しく、私を嗜めるような言葉を言うなんて、そう思ったことを鮮明に覚えている。

母は決してああしろこうしろなんて、私に言わなかったから、「えっ」と思った。
珍しい母の教えは、重みのある言葉だった。
私への期待がひしひしと感じられた。

それが後の「明元素・暗病反」に繋がっているのだな。