昨年12月にブラザー印刷を退職し、私個人は法人会会員ではなくなり、岡崎法人会南部支部の役員でなくなったのだが、この度南部支部役員会に来賓で出席した。
みなさんにしっかり引退の報告とお礼を言えないままの退職だったので、ありがたい機会と出席させていただいた。
花束をいただき、報告とお礼をさせていただいた。
思い返せば、私と法人会南部支部との関係。
もともとブラザー印刷は岡崎法人会の会員ではあったのだが、私と法人会の関係は、2000年父の逝去により社長の任に着いた時から始まった。
その2000年私の社長就任当時社屋は、イオンモール岡崎の入り口横に(今のイオン駐車場D地区)あった。
まるでイオンの営業を邪魔しているかの位置に。
その頃、法人会の副会長であり南部リーダーでもあった服部社長に「南部で働け」と声をかけられた。
それは法人会南部支部だけでなく、南部ダリア会、ニューシティ岡崎協同組合など、新米社長のお役目を次々とお教えいただいた。
南部の有力(有名)社長、服部社長を筆頭に田中社長、倉田社長、志賀社長、そして小原社長のお仲間に加えていただき、南部の活動をともにさせていただいて来た。
いつしかそれは、私の社長としての仕事の重要な位置を占めるようになった。
それはまぎれもなく、「社長の仕事・役割」であったと思う。
まさに2001年から始め今に続いている「南の風オンステージ」。
発展する南部に次々とできる有力施設、その一つである「岡崎シビック・センター」にあるコンサートホール「コロネット」、そこを岡崎の生徒・学生さんたちの発表の場として、活用したいと始めた。
他にもオープンなった新施設、イオン・ショッピング・センター、ウイング・タウン、はるさき健診センター、ララ・シャンス等の見学会も行った。
南部の誇りとなるような施設が次々と出来、発展する南部の象徴ともなった。
また、南部のデジタル化のために行った各種研修会、とりわけ社長さん向けに毎月開催していた「IT寺子屋」が思い出深い。
前出の南部の発展は、倉田社長のウィング・タウンを始め、志賀社長の志賀為、田中社長の田中新聞店と次々に新築・移転が続いた2000年代当初、「うちも新築移転しなくちゃね」とその時は冗談で言っていたブラザー印刷新築移転が2006年に実現した。
イオン横(戸崎町原山)から柱町福部池という正に「南部」の住人となった。
それも小原社長のお世話によるところである。
かように私の社長キャリアは「法人会南部支部」とともにあったと、改めて実感した。
このことを、南部支部卒業を期に記しておきたかった。
以上長文、最後までお読みいただきありがとうございました。
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Posted by brother_p at 21:00│
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