
やっぱ、今シーズン毎月「完全試合」やるよね、彼。(私の予測)
古くは2007年、日本シリーズ、山井8回完全試合のまま岩瀬にリレーの落合采配。
佐々木希からみでは、2019年、大船渡高校國毋監督、甲子園出場を決める試合に佐々木朗希の登板回避。
当時は批判の嵐だったよね。
一般人はまだしも、専門家であるプロ野球OBの野球評論家諸氏。
「あれは非常識。私なら投げさせる。選手の立場だったら悔しい」
事件?直後には、そんな意見が相次いだ。
ところが今回、反応が少し違う。
いや大きく違う。
前にもブログで書いてたよね。
| 「右に打て」
| 「短く持て」
| 「早打ちするな」
| おまけに、デッドボール。
| 「当たったバッターより、当てたピッチャーのほうが痛い」
| ンなわけないだろ。
(2006.10.30 一生懸命頑張りますので、その2)
から始まって、「走り込み」「投げ込み」必要論。
などとと宣う、頭が筋肉でできている、コンサバな(レジェンドとは言わないが)元野球人。
そんな人たちも今回、ご無体な批判の声が少ないような気がする。
それどころか「あれは勇気ある決断」みたいな。
「予定通り、プラン通りの采配だ」みたいな。
直後にアップされた元野球人youtuberたちも、降板肯定論が多くを占めた。
いや、「そう言わざるを得ない」のだよね。
「自分だったら投げたかった」くらいは言ってもね。
でも、論点は采配でしょ。
そんな様変わりも、誰でも意見が言える時代、だけど批判にも晒される時代がそうさせたんだと思う。
評論家さんたちは、欲求不満のまま肯定論を発信する。
あの、雨後のタケノコの元野球人youtuberでさえもね。
これはいいことだと思う。
発信できる時代、意見の言える時代だからこそ、それが世間に晒される。
発信者と受信者の正しい力関係が出来て来る。
MLBとか大谷くんの影響でさすがに言えなくなった「ダウンスイング出なきゃいかん、上から振り下ろせ」。
ディスコメもいいと思うよ。
誹謗中傷とか、メディアのせいじゃない。
だが犯罪はいけません。
当然、取り締まらなければいけません。
言われるのが嫌だったら、発信しなきゃいい。
「投票率向上」vs「バカに投票権を与えるのか」という民主主義議論とも似てる。
いやいや今回は、「意見を言える時代の到来」の是非論になっちまった。
「是」だけどね。