それこそ「因縁」のある願成寺で午後から、忌明けの法要。
先月に、102歳(行年103歳)で亡くなった。
亡くなってもうそんなに経ったんだと思う。
母の命日も6月26日でもう3回忌を迎えていた。
ブラザー印刷の先輩である親戚も、一人の叔父を残してこの世の人ではない。
私もブラザー印刷の社長として役割を担っていただけに、感慨も一入なお参りだった。
ある時期から、父(叔父の弟)は私のことを「息子」と呼ばず、「弟」と口に出していた。
私が父と一緒に仕事をし出してしばらくした30歳の頃、父は60歳の頃だったと思う。
父は実感として「お前の父は叔父(康孝)、私は兄」と言いたかったんだろうけど、そこに私なりに父の愛を受け止めていた。
「私はお前に何も教えることはない」そう聞こえていた。
今日は父でなく、叔父の法事。
叔父は、まるで私の親のような振る舞いだった。
家庭でも、会社でも。
それは私にとって、自信満々に見えて小心者の私にとって、有難いことだった。
そんなことが猛暑の炎天下、多くの家族に見送られて納骨される叔父の遺骨をぼんやりと眺めつつ、想っていた。
いつも思うが、家族・親戚が亡くなるごとに、急速にその距離が縮まったような感覚に囚われる。
深い愛情を感じられる。
それは寂しさを紛らわす方便ではないと、実感して思う。
物理的に近くにいると、なかなか想いは伝わらない。
遠く離れていると、その方が「想い」は光の速度で伝わる。
亡くなった人とは永遠の縁が繋がって行く。
と、叔父のお参りに。