ミャンマー

2022年04月02日

ウクライナ問題で切ないこと

IMG_3625ウクライナ報道は加熱状態。
(否定的に言ってるんじゃないよ、誤解なきよう)

テレビのワイド・ショーも毎日各局時間帯もダブったり。
テレビ見ない私にも届いてくる。

こう言った世界的暴挙(と捉えている視点で)を報道するのは大事なことで、戦争終結に大きな力となりうるのは疑ってないのだが、、

それにつけても思うのは、2021年2月に勃発した「ミャンマー国軍のクーデター」、情勢はどんどん悪化。
国軍の総司令官は「抵抗勢力は撃墜する」と警告を発した。

ウクライナで戦争が起きていることは、悲しいし切ないことだけど、ミャンマーのこと忘れちゃったのかなと、切ない。
かなりミャンマーが身近なところにある私と、周りの人たちも多いだけにね。

忘れちゃったというより、そもそも当時でも報道の量が、ウクライナと比べて桁外れに少なかったし、マスコミも取り上げない。
それが切ない。

ウクライナとコロナ、視聴率絡みかと皮肉も言いたくなる。
にわか専門家を引っ張り出して、西側フェイク情報を垂れ流す。あ、言っちゃった。

IMG_3624それを思うと、「コンゴ侵攻」から始まった「アフリカ大戦争(1998-2003)」
540万人の死者が出たと言う大戦争なのに、この国日本で報道された記憶がない。
と言うより、報道しようと言う意欲も姿勢もマスコミに無い(と言ったら言い過ぎか)。

この報道は8年半前当時のもの。


いろいろ書いたけど、「ウクライナを取り上げることに反対」してるんじゃなくて、「報道の姿勢」と、日本国民と視聴者に対する憂い。

と、これを機会にミャンマーの記事を転載したのである。

brother_p at 10:01 コメント( 2 )  

2021年07月28日

ミャンマー支援の功労者、続編「要注意人物は意外にも」

IMG_07246月8日例会で、近藤正俊くんの卓話をいただいたのだが、盛り上がるには時間が足らず、彼がホントは伝えたかった「うら報告」は言えずじまい。
そこで彼はCDを数枚配布し、「ここにミャンマー支援の実態アリ」と。

私はそれを受けて、「岡崎城南RCのWebに掲載します」と。
後で考えてそれはフライイング。
ミャンマー訪問団隊長(近藤くん)の苦労話を書き綴っているのだが、一部隊員への(愛を込めた)攻撃とも取られかねない文章満載のため、web掲載は撤回、数部冊子としてまとめ、「ミャンマー総括報告書」の副読本として、RC事務局への報告書に留めた。

FullSizeRenderその「愛と怒りのうら報告」よりの引用を紹介する。

「ミャンマー支援の功労者、続編」のタイトルの所以である。
それを汲み取っていただければ幸いである。

以下引用-------------------
上記新人4人に加えて、常連4人の8人でミャンマーに向かった。
事前評判では、新人の内1名は要注意人物(私のことらしい)で、運が悪いとミャンマーの軍隊に逮捕されるとの情報もあり、隊長は緊張していたのである。
そこで最初に書いておこう。
要注意人物はこの旅程中いつも機嫌のいい人物で、「いつものメンバー」達より遥かに団体行動を守り、時間を守り、文句も言わず、隊長には「最高の隊員」であったことを明記しておく。そして隊長に前評判を伝えた「いつものメンバーのあなた」達が、隊長を疲労困憊にさせ、体調を最悪にさせたことも付記しておく。プリンターO氏の名誉を回復しておこう。
--------------------------
なんと、愛に溢れた文章ではないか。

と、結局「手前みそ」
いいんです。「伝道ヴァイブ」ですから。

で、何が言いたかったか?
結局は「認め合う間柄、芸風は違うけど」ってことね。

brother_p at 22:55 コメント( 0 )  

2021年07月26日

ミャンマー支援の功労者、デブコンくん。

IMG_0596母の死と大谷くんの活躍の話題ばかりなので、ロータリーの話題でも。

写真は、岡崎城南RC例会前、卓話者の近藤正俊くん(岡崎城南OB)を囲んでの記念写真。
「はい、みんなマスク取って。オカダくんも!」としょっ中言われるのだが、私はコロナ騒ぎの7年?も前からマスク常習者。
「これが普通です」と相変わらずめんどくさい私。

FullSizeRender近藤正俊くんは、20年にわたる岡崎城南RCのミャンマー支援の中心人物であり最大の功労者だった。
だからこの度の「ミャンマー支援総括報告書」ができた折、記念例会として彼を招き、ミャンマー卓話を聴き、その場でクラブからの感謝の意を表したいという意図があったのだ。

すでに岡崎城南RCを退会されておりOBとして招くのだが、その誘いのメールに当初は断りの返信が入った。

原文のまま転載----------------
このたびは御招待有り難うございます。
しかしながら、誠に申し訳ありませんがこの御招待を辞退させて頂きます。

小生、卓話で話したいことも伝えたいこともありません。
このミャンマー支援については小生の壮年期の思い出として胸に残しておきます。

小生は、RC退会以後も個人的に現地奨学会へ寄付を継続し関わりを持っていますが、例のクーデター以降現地情報が入りません。当局の監視が始まりFacebookも3月5日から更新されず、生の状況が分かりません。胸を痛めています。

併せて報告書の創刊が出来ましたら三部下さい。
一部はモー君へ、他はミャンマーのキンララモーさんへ(いつ届くか分かりませんが)、もう一部は小生が頂きたい。
---------------------
私は、胸が熱くなった。(ちょっと大袈裟)

彼は既に岡崎城南RCを退会していて、OB。
その彼が、壮年期に情熱を注いだミャンマー支援、ミャンマー交流が、過去のものとなっている。
ミャンマーも軍事クーデターにより、民主化も後戻りをしている。
憂いはするが、心配もするが、それは「壮年期の思い出」なのである。

彼は同い年、高校の同級生。
同じ71歳としては、胸が熱くなろうってもんだ。

高校入学直後、他の中学から来た彼(と彼の仲間)は、私を一人トイレの裏に呼び出し、×××しようとした。
注)これは私の武勇伝ではないよ。彼のロータリークラブ入会の挨拶を引用だよ。


彼は能力ある人間である。
それはお互い認め合っている(と私は勝手に思っている)。
ただ芸風が大きく違っているので、私なんて嫌われていると思っている。

つまり「友人になろうとは思わない」ってやつ。

だけど今回、改めて彼を見直した、いや認め直したってことかな。

わあ〜、長文になっちた。
彼に見つからないよう、しらっとブログにアップしておこう。

その彼のロータリーでの卓話、退会してしばらく経ったので、昔の仲間と息の合ったやりとりが不足してたと思ってたか、不完全燃焼で卓話を終え帰っていった後ろ姿が寂しげだった。(これあくまで私の主観)

その件に関しては、後日のブログで。


brother_p at 13:26 コメント( 0 )  

2021年06月08日

「国際奉仕・世界社会奉仕(WCS)事業・ミャンマー教育支援プログラム総括報告書」の発刊

FullSizeRender「国際奉仕・世界社会奉仕(WCS)事業・ミャンマー教育支援プログラム総括報告書」は、6/1に発刊。
同日に、岡崎城南ロータリークラブの例会開催するはずだったが、コロナ自粛で今日6/8に延期。

ミャンマー支援の中心人物だった近藤正俊元会員を卓話者に招いて、例会を開催した。
この総括報告書全120ページの前半70ページは、近藤正俊氏の編集によるもの。
私は後半と総括の50ページを担当した。

その全文は「岡崎城南ロータリークラブWebサイトに掲載されている。

わたしのまとめは、「編集者まとめ」として巻末に掲載した。続きを読む

brother_p at 18:30 コメント( 0 )  

2021年05月21日

ミャンマー報告脱稿(痔じゃないよ)

FullSizeRenderやっと終えましたって、感じ。
「ミャンマー教育支援プロジェクト」報告書の編集がね。

岡崎城南ロータリークラブの20年にわたる「ミャンマー教育支援プロジェクト」
1999年から2000年にかけて、訪問団は20回にわたりミャンマーを訪れた。
私も6回ミャンマーを訪れ、寄付金・奨学金を渡す催しをし、現地視察・現地交流を続けてきた。
途中、2008年のみミャンマーの軍政による国情悪化のため、訪問は中止となった。

昨年、ミャンマー国軍によるクーデターが起きた。
進んできた民主化も、わがロータリーが育んで来たものも、水泡に帰したわけではないが、少し後戻りとなっている。

「ミャンマー教育支援プロジェクト」の終了は今回のクーデター以前のこと。
岡崎城南ロータリークラブの国際奉仕活動・WCS活動の一区切りとして。

その「ミャンマー教育支援プロジェクト」終了2018年の翌年のクラブ国際奉仕委員長だった私は、「その総括報告書を作ります。今後の国際奉仕活動の礎となる資料を残します。」と手を挙げて、2年が経ってしまったのだ。

それがやっと、6/1例会において発刊、「ミャンマー総括例会」とするというゴールが決められたおかげで、本日やっと脱稿に至ったのだ(脱肛じゃないよ)。

なんとも言えぬ解放感と、この岡崎城南ロータリーの功績を残し世に問えるという充実感にも浸っている。

いま、印刷中。
5/31に出来上がったら、またここで紹介しよう。
なーんて、5/3以来約20日間ず〜っと書いていなかったブログを、やっと今日書いたからと言って、また書くなんて調子こいているなあ。

brother_p at 12:30 コメント( 0 )  

2021年03月04日

ミャンマー支援は、水泡に帰したわけじゃない。

IMG_9808 ミャンマーは、時代が逆戻り。

岡崎城南ロータリークラブは、1999から20年間国際奉仕として、ミャンマー支援を重ねて来た。

当初は、ミャンマーを訪問すると軍の人がついて来たり、賄賂が必要だったり。
でそれも減って来て、民主化と経済発展を遂げて来たんだけど、今回のクーデターでだいぶ後戻り。

でも、うちのクラブの奉仕活動の積み重ねも、振り出しに戻ったわけじゃない。
民主化の力となるように、学生を育てて来た。


彼らが今、デモに並んでいる。


brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2021年02月16日

民主主義にも限界? じゃあ何がいいの?

IMG_9588ミャンマーの国軍クーデターは、圧政を強めている。

こうなった現状は憂うべきことなんだけど、発端は昨年の総選挙の不正だったという。
国軍はそう言っている。

岡崎城南ロータリークラブのミャンマー支援で育てた奨学生OBの悲痛な叫びが伝わってくるが、中には国軍を支持する意見もある。

クーデターはもちろんよくない、軍政もよくない(と、私は思う)が、事情は複雑。

大村愛知県知事のリコール不正問題。
イエス高須クリニック院長さんと河村名古屋市長が、力を入れていた署名運動。
なんと80%以上が書き写しの署名っだったとかで、警察沙汰になっている。

アメリカ大統領選挙は、トランプからの不正投票の訴えがあったが、結局バイデンさんで決まり。
両候補ともお互い様、みたいな。

なんかすっきりしないな〜、民主主義。
ルールを守ればいいって問題でもないよ。
制度の欠陥。

少し前には、「アラブの春」なんてあったよね。
独裁から民主化したら、春どころか、冬に逆戻り。

しっかりしてよ、民主主義。

結局は、民主主義じゃあ無理だったのかな。
民主的に選ばれたのが、あんな政治家。

「ベストじゃないけど、ベター」なんて言うの?


今回の森さん失言からの辞任、オリンピック組織委員会の後任会長人事が「密室」で行われそうになった。
それは食い止めたみたいだけど、ここまで民主主義の信用がないと、「キングメーカーが決める」ってやり方も捨てがたいとすら思っちゃう。

まあ、こんなこと言うとまた「今の時代に合わない」とか、「考え方のアップデート」が出来ていないって言われる。

なんなのその「時代が違う」=「アップデート」って、それこそ「今の時代」の言い方。
「正しき結論への導き方」の議論が必要だな、こりゃ。

それも、「民主的」で「オープン」に決めるってか、それじゃ議論にもならない。

長々書いたけど、誤解なきよう。
「圧政」はいけないし、選挙の不正もいけない。ズルはいけない。
そう思ってます、私。

ちょっと「民主主義」、「民主的」に疑問を持っているもんだから。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2021年02月06日

皆さんより2日多いミャンマー訪問記(2019年にタイムマシーン)

BE986487-7858-4C34-A1B9-589FEB7E8EAFこのミャンマー訪問記は、2019年6月6日から12日の7日間の記録である。
実際、このブログに書いているのは2021年2月6日、1年9ヶ月後。

なぜ?
それは2021年2月1日、ミャンマー国軍のクーデター。

その状況を伝えるミャンマーの友からの動画をfacebookでシェアしたのだが、しばらくして削除されていた。

タイムマシンのような書き方になってしまうが、その当時をブログに記録しよう。
以降は、実際の日付(2019/6/6-6/12)のブログとして書き込もう。
当時は同時進行でfacebookにレポートしていたが、ブロブには残していなかったのだ。

今更だけど、記録しておくことが必要だなと思って。

つい最近までのミャンマーの平和な状況を記録し伝えることで、今のミャンマーの窮状を理解する助けになるかなと。

後はリアル日付2019/6/6〜のブログで。

brother_p at 00:02 コメント( 0 )  

2021年02月03日

ミャンマーでクーデターが起きちゃった。

3D8A8647-7497-4ABF-8458-983F2476AD9Aミャンマーでクーデター。

2月1日、ミャンマー国軍は「国家の権力を掌握したと宣言」した。

衝撃。
9B908BB2-D2BF-438D-A253-D07936F5C094
とっさに浮かんだのは、ミャンマーの友人達の安否。

それから、岡崎城南ロータリークラブが20年以上にわたって積み上げてきたミャンマー支援のこと。
後戻りになってしまうのか、ゼロになってしまうのか。
もともと社会主義、軍事政権下の、支援に否定的状況を切り開いての支援だっただけにね。

いまのところは、ニュースでしか知る由はない。
友人たちからのSNS情報では、市民への影響はこれからのようだけど。

そのうち、SNSも遮断されるかも知れない。

brother_p at 01:00 コメント( 0 )  

2021年01月26日

実は、下痢です。

154657052_831689340792855_5768036381556556724_n夜中にYouTube 見てたら、Twisted Helix(ひねくれ者の ヘリックス?)のおもしろビデオ紹介。

英会話のビデオ。シチュエーションは、、、
女性が腹痛を訴えている。
「My stomach、、、痛〜い」
154969760_917668449046968_4162373688096749955_n
場面はエアロビクス。リズムに合わせて、
「I have a bad case of diarrhea」

「お腹痛い」けど、なかなか「下痢です」とは訴えづらい。
それも英語では、よけいに。
155189715_131605822192413_6310614790659140100_nということだね。

でも、なんでエアロビクスで。
ヘリックスに大受けしてる。

思い出すのは、ミャンマー。(前にも書いたかな?)
155229109_915152802577963_1369581101369274849_n10年、もっと前か?
マンダレー空港、お粗末だった頃。

入管、じゃないか国内線だから、何て言うの。
荷物チェックの兵隊さんに、持って行った下痢薬を何かと聞かれて、
ー「for STOMACH」と答えつつも、
(胃じゃないなあ、何て言うの?)と思いつつ、通関した。

数歩行って、思い出して、戻って。
ー「DIARRHEA!」

兵隊さん、そんなことどっちでもいいよね。

だって、思い出したし、難しい英単語覚えてたし。
同行のメンバーに笑われたけど、それも狙いだったし。

ちなみに、念のために持って行った下痢薬。
自慢じゃないけど、未だかつて海外旅行で下痢に見舞われたことがない。

「DIARRHEA」と言いたいために持って行った?

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2019年06月12日

再度再入国? 帰国(6/12)

帰国。

入管は、「自動化ゲート」でスピーディに。

機械にパスポートをかざし、顔を撮影して終わりだ。
感心して立ち止まっていたら、出口の自動ドアが閉まって出られなくなった。
やむなく、もう一度やり直し。

私は2度入国した記録が残るのでは?

再度再入国。

ただいま。
IMG_4432IMG_4431

brother_p at 19:00 コメント( 0 )  

さて帰路、15時間かけて帰ろ。合間に「まとめ」

IMG_4421ヤンゴン空港、夜中1:25のフライトまで3時間以上待って。

途中香港空港では、4時間待って。

でも、こんな時間嫌じゃない。
旅のまとめでもすべえか。

IMG_4422とにかく、旅は「人と会うこと」「現地のものを食べること」(そして「飲むこと」)だと思う。
だが、ともすればカノ国の一定数の方々は、せっかくの非日常体験なのに、「日頃と同じ」を望んでしまう。

特にこの旅は、、
あ、ディスっちゃったかな?

これは、国際交流・海外支援も同じかなと思う。
実はそれがあって、今回のミャンマー訪問は別行動をさせてもらった。

岡崎城南ロータリークラブのミャンマー支援も、2018年で一区切り、時の国際奉仕委員長を仰せつかった私としては、やはりディープに現地に入り込んで、次のミャンマー以降の国際奉仕活動のヒントにもしたかった。
なーんて、偉そうに。お許しを。

IMG_4430さて、帰路。

ヤンゴン空港を発って、香港空港。

ここで、結局乗り換え3時間以上待ち。
往路では、カートで駆け抜けたなあ。

IMG_4423でも、こう言った時間、嫌じゃない。

さあ買い物でも、なんて
行くもんかい。

今回の旅行も、何も買ってない。

「幸せは、安上がり」(有難き社長の言葉・アリシャチョより)

brother_p at 05:00 コメント( 0 )  

2019年06月11日

これはじゃんけんではない。ピースなのだ。(6/11)

IMG_0967旅も帰路、ヤンゴン空港へ向かう。
夜中1:25発のフライトだ。

空港に着く前に、最後の会食。
「Golden Duck」と言う名の、大きなレストラン。

IMG_0965モー君(彼は私と岡崎まで同行)とモー君のお父さんと、タクシーの運転手さん。

運転手さんもお願いして、一緒に食事。
いろんな人と話したいものね。
恐縮しながらも遠慮なく、同席してくれた。

IMG_0966お別れに「ピース」(お利口にグリコ)?
これじゃんけんじゃないよ、お父さん。

今までのミャンマーでは私の、
「I Love Myanmar, I Love Myanmar BEER」
が定番だったが、今回から「ピース」が加わったのだよ。

「ピース」も、指を立てて(若いお嬢さんは頬あたりに押し付けての小顔作戦)の日本流じゃなくて、アメリカ仕込み?の本格派「Paece!」横向き(写真参照)なのである。

私はこちらを推奨し、流行らせようとしているのだ。

brother_p at 22:56 コメント( 0 )  

空港に向かう前、モー君の奥さんカインさんの実家を訪ねる。(6/11)

IMG_0952空港に向かう前、モー君の奥さんカインさんの実家を訪ねる。
そこでは、甥っ子の小学生君と遊ぶ。

普段は子供と動物の嫌いな私。
それを感じて、子供も動物も決して私に近寄ろうとはしない。
IMG_0951
だが何故か、海外とか外国人の子供はなぜか懐いて来る。
モー君の娘、シュエちゃんもそうだった。

ここの彼とも即仲良しになった。

IMG_4416iPadの翻訳ソフトを使って、私にちょっかいをかけて来る。

彼は今、小学校とは別に英語学校に通っていて、英語が達者。
使いたくてしょうがないって感じで、私タジタジ。

発展するミャンマーの底力だね。

brother_p at 17:30 コメント( 0 )  

私が若い?(6/11)

IMG_4408ミャンマーで受けたジョークのひとつ。
現地の人に日本の紹介。
まず、
「私は今70歳です」
まず、ここでモー君が一旦通訳する。
「ほーぉ、そんなに年齢が行ってるんだこの日本人(私)は」という反応。
(若く見える、って意味だよね)

ミャンマーならもう死んでる歳?
そうミャンマーの平均寿命は65歳くらいなのだ。

私「日本は長生きの国で、平均寿命は男性が81歳、女性は87歳です。」
モー君が通訳、皆さん「ほー」
私「そして、毎年1歳ずつ平均寿命は延びています。」
ミャ「ほー」
私「だから、日本人は永遠に死なないのです。」
ミャ「ほーぅ、、、えっ!?」

なんてたわいもない冗談だけど、モー君の通訳が上手いんだよね。

IMG_4409ところで、今回の食事会。
モー君のご両親のお友達、との会食。
教育関係の仕事をされていた方々かな。

その方たちの年齢は、皆さんなんと驚きの80歳前くらい。
モー君のご両親と同世代。

いやー驚きだね。
ここでは、このジョークが通用しない。

IMG_4407ということで、おいしい食事とミャンマービールのプレミアムをいただいた。

というように、現地の人に会い食べ飲み語る日々です。
これぞ国際交流・世界平和活動だね。

どちらの国が正義か、戦って決着をつけるんじゃなくて、アチラの国には友人が居るってことの方が「世界平和パワー」でしょ。

brother_p at 12:00 コメント( 0 )  

今夜、1:25ヤンゴンを発つ。(6/11ヤンゴン)

IMG_4405ヤンゴンの朝、Summit Park View Hotel の朝食が楽しみな目覚め。
今夜、1:25ヤンゴンを発つのだ。
実質、ミャンマー最終日。

名残りを惜しみつつ、ここの朝食もそのひとつ。

IMG_4406海外旅行って言うと食事はスリリング、でもここの朝食は安定してるね。
食べすぎないように。

さて、今日はどなたと会うのやら。
会って、どんな話をするのやら。

brother_p at 10:00 コメント( 0 )  

2019年06月10日

日本から帰国したミャンマー人仲間と食事会(6/10ヤンゴン)

IMG_4403「仲間」って、モー君の仲間ね。

日本で勤めていたけど、今はミャンマーに帰国している仲間との食事会。
楽しい人たちで、盛り上がった。
会話はミャンマー語だけど、私のジョークもばんばん受けた。

IMG_4404対日本人じゃこんなに受けない、私。
モー君の通訳が上手くてね。
私のジョークのツボも、性格もよく御存知だから。
大したもんだ。
←悦に入ってる私、嬉しそうでしょ。

なのにモー君に「お前の日本語わからん。ちゃんと喋れ。」と、面と向かって言う日本人が居てね。
これ日本での話。
お前の日本語の方がよっぽどわからんわ。

IMG_4400IMG_4401

brother_p at 22:00 コメント( 0 )  

巨大なショッピング・モール、その2(6/10)

都会は、何でも手に入る。
IMG_4369IMG_4370IMG_4371IMG_4372
IMG_4373
IMG_4380IMG_4378IMG_4379IMG_4390IMG_4396IMG_4381IMG_4382IMG_4383IMG_4384IMG_4386IMG_4388IMG_4391IMG_4395IMG_4398
IMG_4397IMG_4394

brother_p at 15:00 コメント( 0 )  

巨大なショッピング・モール(6/10)

IMG_4349ヤンゴンにある巨大なショッピング・モール。

まあ、こういった所も見とかないと。
発展した都会の流通施設と言った興味で、見てまわった。
まあ、あのミャンマーが、ヤンゴンが、と言った感じか。

著しい経済発展をしているが、私たちが支援している医療インフラ、教育インフラの整備が追い抜かれてしまっている印象。
経済優先、海外からもそう言った目で見られているのかな。

スナップ紹介。
IMG_4352IMG_4354IMG_4374IMG_4377
IMG_4353
IMG_4355
IMG_4356
IMG_4357
IMG_4358
IMG_4359
IMG_4360
IMG_4361
IMG_4362
IMG_4363IMG_4364IMG_4365
IMG_4366
IMG_4367IMG_4368
続く、、、

brother_p at 14:25 コメント( 0 )  

ヤンゴンを巡る。人と会う。(6/10)

IMG_4320初夜に泊まったのと同じSummit Park View hotel。

このホテルの朝食。変わらず、旨し。



IMG_4334今日は、今や大都市となったヤンゴンを回る。
人と会い、食事をし、語り、ミャンマービールを飲む。

私とミャンマービールとの親密な関係は、最初に訪れたころからの定評である。

IMG_0962
モー君の友人夫婦との昼食。

今回会う人たちはみんなノリが良い。
私の冗談で笑ってくれる。
気分が良い人たちだ。

ここは、ミャンマー料理店。
洗練されたミャンマー料理をいただける。
都会の料理といった味、メニューだ。
IMG_4330メニューに、モットーが書かれている。
メニューを、写真で紹介しよう。IMG_4331
IMG_4335IMG_4337
IMG_4341
IMG_4343
IMG_4344
IMG_4342

brother_p at 13:30 コメント( 0 )  

2019年06月09日

マンダレーから、ヤンゴンに(6/9)

IMG_0958シュエボーからマンダレーに、練乳屋さんのクルマで戻る。

昼食は、中華料理。
同席はモー君の知り合いの、現地の学生さん。
若い女性で、モー君笑顔。

夕方の飛行機で、ヤンゴンに戻る。
往路を逆に辿る復路・帰路。

ヤンゴンは、進んだ大都会となっている。

IMG_0953夕食は日本料理。
モー君の親戚のコーさんが経営している。
コーさんは、日本で学んでヤンゴンで開業した。
在ヤンゴンの日本人がよく利用されているという。
洗練された日本料理、ここがミャンマーとは思えない。

IMG_4312私は海外旅行で日本料理を殊更に求めるタイプではないが、このお店には感心した。
日本での日本料理に勝る味と接客だ。

ちなみにコーさんは、日本でプロレスラーもやっていたとかで、蝶野正洋と2ショットの写真を見せてくれた。

夜は更けて、雨季のミャンマーらしく大雨、やっと降る。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

シュエボー、蚊帳で目覚めて6/9。

IMG_0943きぼうクリニック蚊帳の中での2泊目、明けて6/9。

クリニック前の道路に、ヤギの大群、牛の一団。
朝の散歩、というか大移動。

IMG_0944今日は午前中、シュエボーめぐり。
まず隣。
ミャンマー支援を現地で取り仕切っている、練乳屋さん夫妻のご自宅。
居間に城南との交流の記録、そしてミャンマーでもその活動が評価され表彰されている様子が飾られている。

IMG_0945公式行事に使われた立派な結婚式場も、練乳屋さんの持ち物だ。

その後、シュエボーのきぼう奨学会のメンバーの職場訪問、奨学生の家庭訪問をする。

この季節、ミャンマーはマンゴの季節。
IMG_0948
いつもは雨季を避けて2月の訪問だったけど、最近は5月6月も。
おかげで、雨は降るけどマンゴーの季節。

そういえば、今回大きな雨に出会ってないなあ。雨季なのに。

IMG_0947きぼう奨学会メンバーのゾーさんの宝石店に行った。

お仕事も充実の様子、奨学生に力を貸そうという想いも伝わってくる。
ここでもマンゴーをいただいた。

ミャンマーの雨季は、マンゴーの季節。
シュエボーを回る。

brother_p at 11:00 コメント( 0 )  

2019年06月08日

地元の熱烈要望により、ビンゴ開催。

IMG_09366/8夜、ビンゴ大会。

毎年恒例行事となっていたが、訪問団の日程の都合で当初は予定していなかった。
しかし、地元の熱烈要望により開催。

日本より大量の景品を持ち込んだ。
IMG_0940ロータリーメンバーからのカンパ、100円ショップで購入など200点。

毎回異様な盛り上がりだ。

今回は、奨学生OBの二人の若いドクターの、歌とギター演奏が予定されていた。
IMG_0938
だが、ビンゴで景品を手にしたら皆さん帰ってしまった。

それでも「やってよ」と無茶振り、人のいないところで演奏となった。

IMG_0942私も人に振った手前、1~2曲。

動画が、どなたかのfacebookに載っている。
ここでの拡散はやめておこう。

brother_p at 20:30 コメント( 0 )  

図書館視察、その3

IMG_09332005年に出来たシュエボー第2高校の第4きぼう図書館。

ここにもさちこ文庫がある。
「C'S Shelf Donated By NORITAKE CHIEKO 2010」

IMG_0930わかった。「'S」の秘密。
「C'S」の「ちえこ」の「C」が欠けてたんだ。


当時の岡崎城南ロータリークラブ訪問団との公式式典の写真が、額に入れて飾られている。
城南RC会員の若き姿が写っている。

そして、玄関の柱には、
「DONATED By OKAZAKI JOHNAN ROTARY CLUB 4-2-2005」と刻まれている。

IMG_0932IMG_0931
IMG_0934IMG_0935

brother_p at 16:00 コメント( 0 )  

図書館視察、その2

IMG_09292000年に作った第2きぼう図書館。
シュウエボー第2中学。

ここにも、則武ちえこさん寄贈の文庫が。
’S SHELF DONATED BY NORITEKE_CHIEKO
しかし、「'S」って何?

IMG_0928ここでも、遅れていったにも関わらず、大勢の先生たちが迎えてくれた。

こちらが少人数で申し訳ない思い。


brother_p at 15:00 コメント( 0 )  

Library KIBOH きぼう図書館

IMG_0920岡崎城南ロータリークラブは、過去5つの図書館を建てている。
図書館以外にも、校門の整備。道路の整備、井戸・給水設備(きぼうの井戸)など。
20年に渡る支援活動のうち、前半は環境整備、後半の10年は奨学生を育てている。

IMG_09252002年に、シュウエボー第一高校に作った Library KIBOH きぼう図書館。

予定時間よりかなり遅れたけど、にこやかに私たちを迎えてくれた。
ミャンマー・タイム、人の遅れにも寛容だが、自分も遅れる。
IMG_0924
図書館内には、当時会員の小野智範君の筆による「希望図書館」の額。




IMG_0922そして、当時会員の則武さんの奥さん寄贈の「ちえこ文庫」
’S SHELF DONATED BY NORITEKE_CHIEKO
とある。


brother_p at 14:30 コメント( 0 )  

行事終えて、スタッフと食事

IMG_0959私は城南メンバーと別れ、Kyawくんと二人居残って非公式行事。
公式行事を終えて、スタッフでお疲れさん食事会。

この場に城南訪問団メンバーも居ればいいのにな。
IMG_0960と思いつつミャンマービールとミャンマー料理。
共に私の好物。

I love Myanmar beer. チャクア! と言いつつ飲み続ける。

IMG_0915午後は、かつて岡崎城南ロータリークラブの支援で建てた3つの図書館訪問団。

雨季とは言え、酷暑の
ミャンマー。
ビールなんてすぐ吹っ飛ぶさ。


brother_p at 13:00 コメント( 0 )  

公式行事・奨学生OBと再会(6/8)

IMG_0908この公式行事に参加した奨学生OB。

彼らとの再会も大きな楽しみ。
彼らも楽しみに、来てくれる。

岡崎城南RC会員の天野邦彦君が2006年にスポンサーとなっていた元奨学生テン・リン・アウン君。随分貫禄が出て来た。

IMG_09132013年のピュエ・ピュー・ティン。
随分美しい女性になっていた。
ミャンマーKIBOH奨学会の衣装を着ていて、更に大人の雰囲気。
そう永谷君に報告しておこう。
永谷君からのプレゼントはちゃんと届けましたよと。
IMG_0914

(後のことになるけど、2020年のミャンマー支援事業で、彼女を日本に招待する計画だったけど、コロナ禍で中止となった。タイムマシンのような書き込みー2021.2.8記)






IMG_42412011年に私がスポンサーとなったテッイ・ニン・イさん。

彼女は、公式行事には来られなくって、夕方からのビンゴ大会には来てくれた。
訪問前に「本が入るリュック」をリクエストされていたので、プレゼントに持っていった。

今回、私が珍しく持っていったミャンマーへのお土産は、日本酒750ml3本と、赤いリュック。

brother_p at 12:30 コメント( 0 )  

会終えて、学生とお別れ、訪問団ともお別れ

IMG_0911会を終えて、子供たちは帰る。
軽トラの荷台。
これはまだまだ変わってないなあ。

近所から来てる学生は、自転車で帰る。
バイクで帰る。

IMG_0910近所と言っても結構遠いけどね。






IMG_0912岡崎城南ロータリークラブ訪問団も帰る。
ワゴン車で。

そこから飛行機で、インレー湖に向かう。
(後で知ったけど、飛行機に間に合わなかったらしい。)

私とモー君は残って、行事のご苦労さん会、地元交流。






brother_p at 11:30 コメント( 0 )  

6月8日9時、きぼう奨学会公式行事

今回の公式行事は、現地の「ミャンマーきぼう奨学会」のプログラムの中で、

・岡崎城南ロータリーから寄付金4,000,000チャットの贈呈。これは前もって渡されていて、今回は成績優秀な地元小学生200人への賞品、文具・制服に充てられている。

・岡崎城南ロータリーがスポンサーの新奨学生 エイ ティ モン ミヤニイ への奨学金贈呈。

公式行事に集まった300人以上、盛大な会となった。
奨学生、奨学生OB、ミャンマーきぼう奨学会メンバー、地元の小中高生そして岡崎城南ロータリー訪問団がここに集った。

例年と違って小学生の子供たち、この子たちの中に将来奨学生に選ばれ、未来を開く子供たちがいることだろう。

まさに、ミャンマー「きぼう」奨学会。

IMG_0894IMG_0896IMG_0897
IMG_0898IMG_0899
IMG_0895IMG_0901IMG_0902IMG_0900IMG_0903IMG_0904IMG_0905IMG_0906IMG_0907IMG_0908IMG_0909

brother_p at 10:00 コメント( 0 )  

公式行事、ここで城南訪問団と合流

IMG_0879さて今から、ミャンマー訪問の公式行事。
ここで私は、岡崎城南ロータリークラブのミャンマー訪問団と合流。

昨日の準備の時の、私のアブナイ写真がSNSに流出した。

今回、現地の「ミャンマーきぼう奨学会」のプログラムの中で、成績優秀な地元小学生200人への賞品、文具・制服を贈呈する。

この小学生に与えられる制服を、昨日私が試着したのだ。

と、コスプレの言い訳。良い訳?
これがしたくて、前日に来た?

brother_p at 09:00 コメント( 0 )  

多少蚊に悩まされたけど、朝が来た。

IMG_0893IMG_0892多少、禍に悩まされたが、ぐっすりねむれて、朝を迎えた。
6月8日、ミャンマーKIBOHクリニックの朝。

IMG_0890お医者さんになった奨学生の働き場所として、きぼう奨学会in Japan(写真)の支援で10年前に出来た「きぼうクリニック」。

今は、卒業した奨学生の働き口があるので、休業状態。

IMG_0891そこに昨夜は宿として泊まったというわけ。

設立メンバーの写真がロビーの壁に掛かっており、私も顔を連ねているよ。

岡崎城南ロータリークラブのミャンマー支援の足跡がここにある。

IMG_0888早朝のミャンマーKIBOHクリニックの前の道を、ヤギの一団が通る。
牛の一群も通る。

さあ今から、公式行事だ。

brother_p at 06:00 コメント( 0 )  

2019年06月07日

今夜の宿は、「ミャンマーKIBOHクリニック」

IMG_0873IMG_0872








今夜の宿は、「ミャンマーKIBOHクリニック」。

岡崎城南ロータリークラブの支援で、10年ほど前に建てた。
その中の職員宿泊室に泊まるのだ。

IMG_0887ベッドには蚊帳、空調、トイレ、シャワー完備?

ただし、停電多し。
でも診療所なので、緊急の発電装置を備えている。
冷房なしのミャンマーの夜も辛いしね。

IMG_0886IMG_0885土間に置かれた桶に、洗面器が浮かんでいる。
オケに張られたお湯を、洗面器で汲んで、体に浴びる。
まあ何てまどろっこしいと思ったが、シャワー掛け流しよりよっぽど合理的だ。
水や電気の乏しい国にはネ。

そうわかると、「不自由」が急に「快適」に変わった。

brother_p at 14:00 コメント( 0 )  

ミャンマーきぼう奨学会・Myanmar KIBOH scholarship foundationの主要メンバー

IMG_0864明日の式典行事のチェック?を終えて現地の「ミャンマーきぼう奨学会・Myanmar KIBOH scholarship foundation」の主要メンバーと交流食事会。

というか飲み会。

IMG_0865お米屋さんのソーさん、こちらの希望奨学会の主力メンバー。

無類の日本酒好きで、後日の会に差し入れのつもりの日本酒のうちの一本「蓬莱泉」をここで開栓。
彼はもはや、日本酒研究家だ。
IMG_0869IMG_0870
IMG_0868IMG_0866IMG_0867


brother_p at 13:13 コメント( 0 )  

行事会場の準備(6月7日シュウエボー)

D02F63CF-E208-408E-8269-6DC79F15BE22その後、明日の公式行事の会場に。
準備万端なのだがまだまだ深夜まで続きそう。

明日の朝、岡崎城南ロータリークラブの訪問団の到着を待つ。
とか言う私は、先乗りスコアラー?

42BA1A37-09CA-4012-87FB-0265190860D6今回私はミャンマー訪問団と同行せず、行きも帰りも別行動で、6/8朝からの公式行事のみ合流。

というのも、訪問団が公式行事や視察、奨学生とその関係者との交流にあまり時間を取れないので、私は先乗りし、居残り。

訪問団との合流も3時間!

行事に参加できなかったり各地に散らばった奨学生やOB、現地の「ミャンマーきぼう奨学会」のメンバーと交流という「勝手に全権大使」気取りなのだよ。

brother_p at 11:48 コメント( 0 )  

フルーツ、誕生会、英会話?(シュウエボー)

IMG_0856シュウエボーに着いた。
仏壇?とフルーツと陽気な女性たちのおしゃべりのおもてなし。

なんてったってマンゴー。
今が食べ時。

IMG_0857マンゴー、ジャックフルーツ、スイカ、パイナップル、そしてレペ。
実はこの中にひとつ、苦手なものがある。

それを食べると、自分はカブト虫かって思っちゃう。

実はここ、誕生日会の準備中の真っ最中。
IMG_0855主人公のお誕生日ちゃんが現れた。

綺麗にお化粧して、気持ちはしっかり大人の女性に入り込んでいる。

何語で話かければいいのかな?

Happy birthday. How old are you?
Thank you. と、彼女。迷答?
How old are you? と、再度。
It’s nine o’clock. (おっ、そう来たか)
How old are you? (期待が高まる)
I’m nine years old.(ピンポーン)

これを「英語がしゃべれる」というのだ。

ミャンマーの小学生、英語教育が進んでる。

brother_p at 11:00 コメント( 0 )  

いやー、ゆっくり寝られたよね。6月7日朝

IMG_08536月7日 サミットパークビューホテル。

いやー、ゆっくり寝られたよね。
昨日のトラブルのお陰で。

ヤンゴンのサミットパークビューホテル。
朝食旨し、ミャンマー料理。

IMG_0854まずはお粥。最後はココナッツラーメン。
おいしい。

もちろんその間、色々と。
これから食べ続けるミャンマーの食事に期待が持てる。

IMG_0956昼食は、京幸一(キョーキョーモー)君のご両親とタイ料理。
(えっ、タイ料理!)
随分と長い時間、ご両親とお話をした。
こんなに長い時間話したのは、20年間で初めて(⌒∇⌒)

その後、国内線でマンダレーへ。
練乳屋さん夫妻がマンダレー空港まで迎えに来てくれた。
シュウエボーまで車で移動。


brother_p at 09:30 コメント( 0 )  

2019年06月06日

その日のうちにヤンゴン空港に着いた。 --ミャンマー紀行

IMG_08526月6日 23:45 ヤンゴン空港

なんとか着いたヤンゴン空港。
なんだ、当初の予定通り時刻の到着だ。
23時45分到着。
でも最初の2時間は、セントレア お味仙で呑んだくれてたけどね。

で、正常なスケジュールに復帰したかと思ったのもつかの間、タクシーの左前輪がパンクした。
空港から出る前だったので、他のタクシーに乗り換え、深夜のホテル着だ。

この日のトラブルで今回の旅をどう占う?予測する?

まあ、吉兆でしょう。
不測を楽しむのが、海外の旅。

brother_p at 23:50 コメント( 0 )  

香港着、21時過ぎ  --ミャンマー紀行

IMG_0851香港着。

時間の上では、なんとかヤンゴン行きの出発時刻には間に合ったみたいだが。
広い香港空港、全力疾走しても間に合うか?

航空会社がカートを用意してくれた。
10分弱乗って、そこからバス。

まさかミャンマーに行くって感じじゃない人たちで満員。
501ゲートにたどり着いて、少なくとも搭乗は可能となった。

brother_p at 22:00 コメント( 0 )  

まだ、セントレア  --ミャンマー紀行

IMG_08502時間遅れの香港行きを待つ17番ゲート。

何やら私を呼ぶ声がする?夢の中。
眠ってしまっていたようだ。

目が覚めれば、もはや18時出発時刻。
生ビール3杯(いや4杯?)は飲み過ぎか。

ゲートも急に12番に変わっていたのだ。
17番から12番はかなりの距離、小走り。

brother_p at 18:00 コメント( 0 )  

6月6日、14時 セントレア --ミャンマー紀行

IMG_08486月6日、14時 セントレア

ミャンマーに行こうとセントレアに来たのだが、香港までの飛行機は2時間遅れ。
香港からヤンゴンの便に間に合うか際どい状態。

IMG_0849ひょっとして今夜は香港泊まりか?
ヤンゴン行きも1日遅れになるかも。
ま、つまり、日本で飲むビールが増えるか、香港で飲む酒が増えるか、ってとこ。
航空会社から500円の食券もらったし。
今夜はヤンゴンで、街ごと飲み尽くすつもりだったのに。

brother_p at 14:00 コメント( 0 )  

2日間多い旅にしたよ。--ミャンマー紀行

EFA937F7-87E7-4747-B676-12F911241E90今回のミャンマー訪問団の日程は、2019年6月7日〜11日の5日間。ところが私は1日前の6月6日に現地に入り、1日後の6月12日に帰ってくるという日程にした。

団体行動の出来ないオカダと思われるだろうが、以下の目的があった。

・訪問団の予定では、奨学金支給と交歓昼食会のみの公式行事しかなかったので、深く視察・交流がしたかった。
(結局、交歓昼食会もなしとなった。)

・先乗りして、現地行事の準備をしたかった。
ま、局団体行動が苦手なんだけどね。

そんなことで、同じミャンマーに居ても行動が別なので、訪問団に私の行動報告を逐一したかった。それから、城南会員、世界中の皆さんにもレポートしたかったので、毎日Facebookで発信し続けた。

今回の訪問記は、そのFacebookをまとめたものをここに掲載する。

ということで、
2021/2/6/6、このブログを当時の日付で(後付けで)書いている。2021/2/1、ミャンマー国軍のクーデター勃発。
今、当時のことを書き記しておこうと。

brother_p at 00:30 コメント( 0 )  

2018年05月23日

ギターやるような奴ぁ

IMG_1259訪問先のミャンマーから送られてきた写真。

私のギタレレ持参のスズキ君と、オベーションのようなギター少年。

「なんかスズキ君より上手そうだね」と伝えたら、
「A Place In The Sun」と「500miles」を教えてやりましたよ」と返って来た。
やるなあ。

「A Place In The Sun」(太陽のあたる場所)は歌詞がミャンマー。
「川の流れの先の夢に向かって進み続ける」ってのは、エーヤワディー川(イラワジ川)を思い浮かべる。

しかしこの少年、やんちゃな顔してるよなあ。
ギターをやるような奴は。

音楽は国境を越えて、年齢を超えて。




この記事、6/13記

brother_p at 11:21 コメント( 0 )  

2017年05月30日

ミャンマー報告会@RC例会

image帰国翌日火曜日にRCの例会があったのだが、あまりに忙しいと1週間後の今日「ミャンマー訪問報告会」

S団長取り仕切りの各メンバーの報告に続いて、私に多くの時間(10分!)をいただけた。

「親パク」派と「反パク」派の抗争(香草)について、プレゼンをした。

S君にハーモニカを持って来させたが、歌う時間はなかった。

スライド01スライド02スライド03スライド04スライド05スライド06スライド07スライド08スライド09スライド10スライド11

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2017年05月25日

ミャンマーで、足を食われた。

imageミャンマーは織布産業が盛んである。

織布工場もあれば、大勢の織姫さんたちの工房もある。
それが、街にまとまってあるのでなく、何十キロおいて点在している。

image家族で縫製の仕事をしている、家を訪ねた。

なんとそこのミシンは、ブラザーミシンばかり、それも数台。
年代物だが、バリバリの現役のようだ。

それを、なんとか写真に収めようとしていたら、
image
「熱っ!」
足に激痛が走った。

何が起きたかわからなかったが、現地の人は冷静になおかつ慌てて(なんじゃそれ)対処してくれた。
image
アリだった。

ミシンの写真を撮るのに夢中で、アリの巣を踏んでいたのだ。

imageアリの逆襲。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」アリのようだ。
(注:モハメド・アリ、あ、これいらんかった)

家の人が手当をしてくれた。
タナカを塗ってくれた。

これが、ミャンマーでの災難第二弾。
優しいもんだ。

brother_p at 16:44 コメント( 0 )  

2017年05月24日

えっ?ミャンマーで発症

花粉症歴の長い私だが、まるで治療も対策もしてなかった。

imageそれが近頃、「コンディションの良い日々を過ごす」ことに留意し始め、花粉症の薬を飲み、花粉症に効く甜茶を飲んでいた。

そこで、ミャンマー・タイではどうするか?
ネットで調べたら、ミャンマー・タイでは花粉は飛んでいないということで、薬も持たず茶も持たず出発。

image当初は順調だった。

だが3日目、ミャンマーの精米工場を訪ねた時、ナント突然発症したのだ。
出まくる鼻水、写真ではこの日から(お馴染みの)マスク顔が写っている。

最後の二日、バンコクではほどほどに治っていたが、中部国際空港でのバゲージクレームで荷物を受け取る際、またもや出血いや出鼻水。

それも、ミャンマーで発症した時の何倍もの鼻水。
5枚がさねのティシューから溢れ出る鼻水。

これが今回の旅の最大の災難?、やさしいもんだ。

brother_p at 14:56 コメント( 0 )  

2017年05月21日

豪華朝食ブッフェとシメは高級イタリアン、ミャンマー食の訪問記5/21

18527811_286470608425266_4965853693981443548_n「反パク派」の反撃は続くが、この頃には「親パク派」もしっかり洗練された味に飛びついている。

しっかり、パクチーを歯にはさげた(=挟まったままの意:三河弁?)ままね。

超高級ホテルの朝食は、豪華ブッフェ。すなわちエクスペンシブ。
「反パク派」は、「ここで食い溜めすればいい」ぐらいのことを言う。

でも私はやっぱ、質素なアメリカンブレックファースト的になる。
な〜んて、日和らない「親パク」は気取っているのだ。

この辺で、もはや私シンパなし?

この日、日中はタイの世界遺産など観光。
象にも乗った。
そして一休みした後、最後の晩餐はバンコクの高級イタリアン。

「親」も「反」も安心した味と、心配な支払いを胸に楽しい食事で時を過ごすのだ。

そして、ホテルでシャワーを浴びた後、0時5分のタイ国際航空で帰途に着くのである。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2017年05月20日

「反パク」派の逆襲バンコクの夜、ミャンマー食の訪問記5/20

image「ネズミは出るが水は出ない」ホテルに泊まる状態から、バンコクでの今宵の一泊(正確には夜中のフライトまでチェックイン状態なので、二泊。

「反パク」派には、逆襲のチャンス。

imageマンダレーから空路でバンコク到着後、先に帰国する二人(親パク)とお別れ。

残った6人(親パク2、反パク4)はこの夜の宿泊の超高級ホテルで一休みした後、今回の旅の1日目に下見を済ませた、バンコクの夜へと繰り出す。

まずは、日本食の店で腹ごしらえ、というか「反パク」派には安息のひととき、元気も回復?
私が、「肉が食べたい」と注文すると、「何ニク頼んでんのよ?」と攻撃してくる。
よっぽど辛い時間を過ごしてたんだなあ、と理解しつつもさらに「魚はいらない」と肉を。

その反撃も、日本酒の生酒が胃に収まった頃、穏やかとなった。
「やっぱ、日本食、日本酒だね」と満足していることだろう。

食事を終え、頃合と夜の街に消えるメンバーを横目で見て、私一人に。

ここで、「親パク」対「反パク」は2対4のはずが、1対5になったような。
いやいや、親パク一人は日和ったのではなく、人間の幅があるのだろう。

私一人孤独に、しばらく夜の街をぶらついた後(おんなじか)、ホテルに帰る。
タクシーを拾って帰ったのだが、チャットを全く持っておらず、ドルは受け取ってもらえず。

ホテルのフロントで47チャット分のドルを両替してもらい、タクシーに支払うことができた。
その額2ドル、超高級ホテルのフロントで、わずか2ドルを両替し、それもしっかり書類を書いて、ハハ。

お待たせしたタクシーの運転手君に2ドル分のチャットを全部あげたら喜んでた。
チャット残しても使わないし、使えないし。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2017年05月19日

ミャンマーは「太陽のあたる場所」その2、ミャンマー食の訪問記5/19

image(前項より続く)

高級北京料理レストランの個室に丸テーブル二つ。
ひとつに、岡崎城南RC御一行様8名、ひとつに、現地随行のお世話役さん達。

_SX425_歌う曲は「太陽のあたる場所」、ヨシヲスズキで練習中の曲だ。
腕試し、度胸試しなのだ。

アカペラ、手拍子で歌う。
イントロと間奏・後奏はハーモニカ。
ブルースハープを持って来た。

ところがこの手拍子、城南テーブルはノリが悪い。
ノリが悪いどころか、手拍子ができない状態、歌の邪魔。
かたや、ミャンマーテーブルはノリが良い。

途中で、城南テーブルのT君からタオルが投げられた。オイッ。
反パク派の領袖T君から。

かたや、ミャンマーテーブルは大喜びでスマホ動画を撮りまくり。
こうでなくちゃね。

歌の方はといえば、酔っ払っていたし(練習中の曲だし)、ハモニカ落とすし、ヘロヘロだったが、目的は達したじょ。

なんにしても、ノリが良かったので「合格」

ミャンマーは「黄金の国」と言われているが、希望あふれる「太陽のあたる場所」だ。

brother_p at 23:59 コメント( 0 )  

ミャンマーは「太陽のあたる場所」その1、ミャンマー食の訪問記5/19

image5/19マンダレーの夜、高級な北京料理のお店み連れて行っていただいた。個室。

北京ダックを始めとした洗練された料理、洗練された味。
ここの北京ダックは肉も食べるんだ!とか言いながら、親パク反パクを超えて箸が進んだ。
image
でもまだ、香草怖しの疑心暗鬼の恐る恐る。

実はこの旅、ヨシヲスズキで歌うチャンスを狙ってた。
公式行事のあとの懇親会でと狙っていたのだが、ビンゴが長引いて出番がなかった。
image
あれから2日たち、旅も終盤。
歌うならここと、スズキくんに無茶振り。

だが、そこは親パクのスズキくん。
お調子者のスズキ団長。

二人、立ち上がってアカペラで歌うこととなった。
いや、歌うこととした。(続く)

brother_p at 23:30 コメント( 1 )