ブラザー印刷

2023年12月04日

" Time Flies " というけれど、止まっていたのか?「時」

IMG_0684明大寺町長泉の旧実家、今は私の勉強部屋(遊び場)の8畳の間。

ここで、RCの仲間(だった)7人で「飲み会」開催予定、12月9日。
なので、部屋準備・片付けをしようと壁を見れば「1月のまま」のカレンダー。

IMG_0683「いやあ。一年めくっていなかったか?」
と、テレビ堂(実家が長年お世話になっていた実家近所の家電店)さんから頂いたカレンダーに付け替えようと、、、

「おや」、旧カレンダーの右肩には「令和4年2022」とある。
FullSizeRenderてことは、今年の1月じゃなくて、つまり丸一年めくってなかったんじゃなくて、「二年前のまま」だったってこと!?

1年前もここで飲み会やったけど、気付いてなかった。
2023年の1月のカレンダーだと思ってた。

他でもチョコチョコ出入りしたり、使ってた部屋なんだけど。

2022年の1月といえば、私のブラザー印刷引退・完全離脱が、2021年12月1日。
ちょうど、二年前。

2020年9月20日、社長退任・会長就任。
2021年12月1日、会長退任・ブラザー印刷引退

その時から、実家を勉強部屋(実は遊び場)にしてほぼ毎日通っていた。

でも、カレンダーはそのまま。

時は矢の如く流れたのか、止まっていたのか。
着実に人は歳を取り、私はこの12月7日に74歳となることが確実となっている。今のところ。

brother_p at 09:13 コメント( 0 )  

2023年05月31日

一枚の写真「1986.10.10_西先生ブラザー印刷来訪」

1986.10.10_西先生ブラザー印刷
この写真、中央に西先生。
左から高木紀彰さん(昨年12月没)、私、吉川正敏さん、女性(どなたでしたっけ?)、笹谷俊道さん、横田真さん。

スタンプされた日付は「86.10.10」、名古屋でマスト21開催の「西MGセミナー」の流れで、岡崎のブラザー印刷来訪か?

今進めているMG関連の録り溜めた録音テープ300本のデジタル・アーカイブ化。
No.1「ニューメディアと印刷の未来」田原総一朗(1986.02.08)
No.2「人間と生物の知恵くらべ」中村幸昭 鳥羽水族館長(1986.02.08)
No.3「ヨガと心の健康、体の健康」北山佐和子1986.02.08)

ここから、ほとんどMG・NK・MT関連のテープとなる。
No.4「組織活性化の道」小林 茂 ソニー参与(1986.03.00)
No.5「MGをトコトン語る。」清水義晴 博進堂社長(1986.04.26)
No.6「企業のコンピューター利用のあり方」阪 彰敏(1986.05.22)
No.7「情報を軸とした新しい企業経営」長谷川郁祐(1986.05.22)
No.8「経営の原点」一倉定 一倉経営研究所(1986.02.22)
No.9「人間の原点」小林茂 ソニー参与(1986.02.22)
No.10「広島に真の企業革命を見る。」西順一郎(1986.08.24)
No.11「はがき道」坂田成美(1986.08.24)
No.12「兵庫ダイハツの経営」西順一郎(1986.10.10)
   西先生を囲む会 in 岡崎 ブラザー印刷
……とテープは延々300本続くのだが、、、

その、No.12「兵庫ダイハツの経営」は西先生がブラザー印刷での120分の講演。

別々に保存していた「録音」と「写真」が、ここで一致した。

この頃私は、引き続き吉川正敏ヨシノ印刷社長、高木化学高木紀彰君と岡崎でMGを進め、
1988年3月にミツワ印刷(瀬戸)鍋清(名古屋)と「愛環塾」を設立し、
1989年4月には「愛環三社・西研見学会」が催される。

写真の背景には「ZD運動」の旗。
その後ブラザー印刷では、ZD運動に代わり全社員でMGを始め、分社へと進む。
そんな出来事の緒となったこの「西先生を囲む会 in 岡崎」での写真である。

brother_p at 00:30 コメント( 15 )  

2022年10月18日

黒田善子の世界「こころ動かされた光景」

FullSizeRender黒田善子の世界
「こころ動かされた光景」

2022年10月18日・発行
企画:Kガレージ アートワークス
発行:くろだワークス・MOLA美術館

昨夜帰宅したら、馴染みの封筒の郵便物が届いていた。
「そうか」と思い開けてみたら、モラ作品集「こころ動かされた光景」。

今日の善子さんの誕生日に合わせて上梓された作品集。
これで、もう第5集だよ。すごいなあ。

実は私、昨年末から茨城県行方市の黒田さんのところに何度も訪問していたのは、この作品集の企画・編集のお手伝いもあったのだよ。

私はブラザー印刷は卒業しているので、その営業で訪ねたというのではなく、発注者である黒田さんの編集のお手伝いをするという立場でね。
つまり印刷会社への発注窓口という立場。
受注窓口ではなくて。

で、その結果の本が黒田さんから私宛に届いたのである。
感慨もひとしおである。

仕事を離れても、発信者のお手伝いができる喜びを感じた次第。
「想いを形に」

brother_p at 12:58 コメント( 0 )  

2022年07月30日

叔父(ブラザー印刷初代社長)の忌明け法要

IMG_5050IMG_5051それこそ「因縁」のある願成寺で午後から、忌明けの法要。
先月に、102歳(行年103歳)で亡くなった。

亡くなってもうそんなに経ったんだと思う。
母の命日も6月26日でもう3回忌を迎えていた。

ブラザー印刷の先輩である親戚も、一人の叔父を残してこの世の人ではない。
私もブラザー印刷の社長として役割を担っていただけに、感慨も一入なお参りだった。

ある時期から、父(叔父の弟)は私のことを「息子」と呼ばず、「弟」と口に出していた。
私が父と一緒に仕事をし出してしばらくした30歳の頃、父は60歳の頃だったと思う。

父は実感として「お前の父は叔父(康孝)、私は兄」と言いたかったんだろうけど、そこに私なりに父の愛を受け止めていた。
「私はお前に何も教えることはない」そう聞こえていた。

今日は父でなく、叔父の法事。
叔父は、まるで私の親のような振る舞いだった。
家庭でも、会社でも。

それは私にとって、自信満々に見えて小心者の私にとって、有難いことだった。

そんなことが猛暑の炎天下、多くの家族に見送られて納骨される叔父の遺骨をぼんやりと眺めつつ、想っていた。

いつも思うが、家族・親戚が亡くなるごとに、急速にその距離が縮まったような感覚に囚われる。
深い愛情を感じられる。

それは寂しさを紛らわす方便ではないと、実感して思う。
物理的に近くにいると、なかなか想いは伝わらない。

遠く離れていると、その方が「想い」は光の速度で伝わる。
亡くなった人とは永遠の縁が繋がって行く。

と、叔父のお参りに。

brother_p at 22:45 コメント( 0 )  

2021年12月13日

元製本のおばさんたちと昼ごはん

IMG_2195卒業式でいただいた花束、ブラザー印刷の先輩たち(父・毋・弟)の仏前に。


12月13日、退社後初めてブラザー印刷へ。
健康保険証を返して、社長と面談。
なんの問題もなく、ブラザー印刷は継続している。
いや違うか、社長交代後もコロナを始め、多くの問題・試練が降りかかったが、新社長は乗り越えて来ている。

その後、スバカマナ(インドカレー店)に向かい、元ブラザー印刷製本のおばさんたちとランチ。
おばさんと言っても正社員だよ。今はおばあさんだけど。
製本係・係長として定年まで勤め上げた人たち。
私の先輩卒業生だ。

その方達が、12/1のブラザー印刷朝礼・私の卒業式に連名の花束を贈ってくれた。
そのお礼に、おばさんいやおばあさんたちと「カレー・ランチ」

昔話に花が咲き、再度私の卒業を祝ってくれた。
食べ切れなかったナンも、たくさん持って帰ってもらった。
私はグルテンフリー再開で食べられないし。

再会を約束して、お開き。
乗っていくか誘われたけど、時間のある私は、30分歩いて帰った。来たときと同じように。

おばさんたちは、みんなでお茶でも飲んでおしゃべりして帰るんだろうしね。

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卒業式でいただいた製本のおばさんからの花束。


←この人は社長
 製本のおばさんじゃありません。

ブラザー印刷エントランス

brother_p at 15:41 コメント( 0 )  

2021年12月02日

12月1日、ブラザー印刷卒業式をしていただきました。

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FullSizeRender12月1日、毎月の総合朝礼。
加えて、設立記念日。
67年前の1954年12月に「株式会社ブラザー孔版社」設立。

その日に、私の卒業式をしていただいた。
感謝状と花束をいただいた。
感謝状には「また遊びに来てくださいね」の社長らしい文言。
花束は会社からと、「元製本のおばさんたち」から。
届けてくれたんだ。

IMG_1844設立記念日の「お赤飯」と「紅白饅頭」をいただいた。
早速、昼食にいただいたのだが、私のお箸は退職のため家に持ち帰っていたので、社員の中根くんから割り箸をもらった。

辞めるって実感が湧いて来た。


これで、ブラザー印刷も仕事も完全リタイアしたわけだけど、、
辞めた理由は、私がいない方がブラザー印刷は良くなると思ったから。
みんなの会社になると思ったから。
自虐的でなくてね。

あとは、しっかり老後を創らなくちゃと思ったから。

父も母も弟も、老後がなかった。
在任中に亡くなったり、仕事から離れた老後は張りと支えが亡くなったり。

だから、私は会社を辞めしっかり老後を生きる義務を果たさなくちゃと。
私は会社を辞めても、しっかり老後を生きるチャレンジをしなくちゃと。

それが、理由。
他にはない。

それが、卒業式にみんなに言えてよかった。
お礼と共にね。

これからは天下の素浪人、絶対浮力。
沈んじゃうにせよ、それがいい。

brother_p at 16:23 コメント( 4 )  

2021年12月01日

ブラザー印刷へ最後の出勤

FullSizeRender昨夜はダブル近藤君としっかり飲んだ。
雨が降り始めた10時過ぎ?お開きの後、主の居ない実家に寄った。
仏壇にお線香を上げて、ブラザー印刷の先輩卒業生である父母弟に報告。
「明日、私もブラザー印刷から卒業だよ」と。

その後、実家でまた飲んだ(らしい)。
そのまま寝てしまった(らしい)。
目が覚めたのが、午前2時20分。

外は半端ない豪雨、水害クラス。
30分歩いて自宅に帰った。
傘を打つ雨音が爆音で、AirPodsの音も聞こえやしない。
当然びしょ濡れ、靴は水没、下着まで濡れた。

今朝の目覚めは遅かった。
最後の出勤日、一日の朝礼があり、私の卒業式がある。
遅刻するわけにはいかないが、バスには乗り遅れた。
確信犯的に、歩いた。
最後の出勤は得意の徒歩で、と。

無事に始業2分前にたどり着けた。

……

そして今、最後の仕事を終え、荷物をまとめ、「会長」なのにこの2年間間借りしていた「社長室」を去る。
本来の持ち主の「社長」に、やっと引き継げた。

brother_p at 17:00 コメント( 4 )  

2021年02月01日

祝・創立70周年記念

IMG_9476当社ブラザー印刷は、
1951年2月、
ブラザー孔版社として「創立」し
1954年12月、
株式会社ブラザー孔版社として法人「設立」
1962年7月、
ブラザー印刷株式会社に「社名を変更」した。

IMG_9486コロナ禍の中、特に70周年の催しものはせず、今日のお昼に全社員にお祝いの弁当配布。
と、ささやかに。

「祝・創立70周年、岡崎おうはん地鶏づくし」
私もおいしくいただきました。

あ、その前に、この日を迎えられなかった先々代社長岡田一秀に「70周年」の報告(のお供え)をしてね。
そして、「地鶏」弁当と「自撮り」

brother_p at 13:00 コメント( 0 )