グループ・サウンズ考

2021年08月14日

あの時代、加山雄三という存在

FullSizeRenderしばらく間が空いたが、「グループ・サウンズ考」。

加山雄三という存在は大きいよね。

今でいうシンガーソングライターなんだけど、作詞作曲自作自演をし、映画にも出演、「若大将シリーズ」でプレスリーばり。

FullSizeRender散々あの頃の音楽作りをディスってたけど、加山雄三はプラスの貢献をしているね。
音楽の素養というか、基本に栄養の行き届いた感があって、他のミュージシャンにも大きな影響を与えている。

「加山雄三とランチャーズ」ということでバンドを従え、バンドとしてヒットを飛ばしていた。

FullSizeRender映画の時は、ブルー・ジーンズを従え、後に「寺内タケシとブルー・ジーンズ」として名を広めた。
そのメンバーだった加瀬邦彦は、加山雄三が名付け親となった「ワイルド・ワンズ」を率いて自作の曲でヒットを飛ばす。

加瀬邦彦の作曲は、加山雄三の薫陶を受けてか、歌謡曲臭のないものだった。
タイガースを卒業した沢田研二にも楽曲を提供し、沢田研二の価値を高めている。

寺内タケシ、ギターめちゃ上手い。
加瀬邦彦、ギター並以下^^; だけどね。

寺内タケシ、加瀬邦彦、もうこの世を去った。
しっかり足跡を遺してね。

加山雄三、いまだ現役。

brother_p at 22:05 コメント( 0 )  

2021年08月03日

自作の曲を演奏していたグループ達。グループ・サウンズ不毛論

(前号より続く)
当時、主に自作の曲を演奏し、人気を博していたグループがある。

FullSizeRenderその代表格は、ワイルドワンズ。
「想い出の渚」に代表されるオリジナル曲は、リーダーの加瀬邦彦によって作曲されていた。
「青空のある限り」「愛するアニタ」と、POP調のヒット曲を出し続けた。
加瀬邦彦の作風は、歌謡曲っぽさがなく、加山雄三の影響を受けているのかも知れない。
★★★★☆。

FullSizeRenderワイルドワンズと同系統のバンドにランチャーズがある。
ヒット曲としては「真冬の帰り道」。
作曲はメンバーの喜多嶋修。
彼らは加山雄三の影響どころか、スタートは加山雄三のバックバンドだったのだ。
★★★★☆と行きたいが、ヒット曲の少なさで★★★☆☆か。


とここまで、好意的に書いてきたが、ここからは雲行きが怪しくなる。
もはやグループ・サウンズとは言われぬ時代か。

FullSizeRender「小さなスナック」の一発屋?パープルシャドウズ。
これはもうムード歌謡か。
ミラーボールが似合いそうで、グループ・サウンズはとは言い難い。
グループ・サウンズにも申し訳ない。
★☆☆☆☆。
要するに私が嫌いっちゅうこと。

FullSizeRender森田公一とトップギャラン。
もう誰もグループ・サウンズとは呼ばなくなった1969年のデビューなのだが、「青春時代」はヒットしこの世代の愛唱歌となった。
「森田公一と」とあるように、リーダー作曲家森田公一が、ピアノを弾きながら歌う。
せっかくグループ・サウンズの時代の「作曲家」さんの提供曲という形態をディスってきたのに、そして自作自演のグループを持ち上げて来たのに、その「作曲家」さんが主役で出て来ちゃった。
形態も曲調も嫌いなので、パープルシャドウズに続いて★☆☆☆☆。

長々と3回に渡って書いて来たけど、結論?は「グループ・サウンズは不毛だった」
「いや懐かしい曲とか、愛唱曲が残ってるし、良かったじゃない」って言う人もいようが、「グループ・サウンズ」の時代がなければ、もっといいものが残ったと思うよ。

歌謡界もロックもフォークも。

あ、フォークの不毛の時代も書かなくちゃ。
いつかね。

brother_p at 22:26 コメント( 2 )  

2021年08月02日

それでも居たよ、自作自演のグループサウンズ達

FullSizeRender自作自演と言えば、やはりスパイダースだね。
かまやつひろしというソングライターが居たからね。
「ノーノーボーイ」「バンバンバン」「あの時君は若かった」etc。
作曲家さん起用は、「夕陽が泣いている」に続いて浜口庫之助作曲の「風が泣いている」、他に「太陽の翼」とかあったけど、スパイダースの良さが出ていない。つまり駄作。
オリジナル評価(非歌謡曲度とも言える)は、★★★★☆。

FullSizeRenderスパイダースとと並び立つグループサウンズにブルーコメッツが居た。
彼らも井上忠夫がオリジナルを作曲し、ヒット度合いではスパイダースのかなり上を行っていたが、なんせ私の好みからは程遠い。
だからだろう「ブルーシャトウ」レコード大賞を取った。
「青い瞳」なんて当初英語で歌っていたけど、まるで歌謡曲。
オリジナル評価(非歌謡曲度とも言える)は、おまけの★★☆☆☆。

FullSizeRender世間では、スパイダースVSブルーコメッツの図式はあったが、もうひとつスパイダースVSテンプターズ。
「忘れ得ぬ君」「神様お願い」「おかあさん」と、松崎由治の個性派作曲が目立っていたが、「エメラルドの伝説」村井邦彦先生作曲でガックシ来た。
★★★☆☆。

FullSizeRenderスパイダース、ブルーコメッツ、テンプターズと来たら、次はタイガースだよね。
人気は一番あったかな。
彼らの曲は、ほとんどすべて作曲家さん、すぎやまこういちが多かったかな?
デビュー曲「僕のマリー」がそうだ。
「モナリザの微笑み」とかもね。
唯一?メンバーの森本太郎が「青い鳥」を作ったけど、これは駄作。
曲も演奏もひどい。
★☆☆☆☆。

なーんて、当時の流行りものをディスりまくったけど、評価はあくまで私の超主観なので、そのつもりで。

で、ひどい演奏能力のバンドがなぜデビューできたのか、なんだけどね。
これが私の言いたいところで、海外のビートルズ的バンドの台頭に目を付けたレコード会社さんの「仕事」だったからなんだよね。

音楽もマーケティングも、まるで分っていない業界が作り上げたもの。
だから、グループサウンズ・ブームも3年とは続かなかった。

しかし、「自分で作る」というバンド、ミュージシャンの流れも辛うじて出来たんだよね。
それは業界の功績というよりは、ポンコツ作曲家さんたちが反面教師になったのかも知れない。
「自分たちで作ったかっこいい曲を自分たちで演奏するんだ」ってね。

その件、次稿に続く。

brother_p at 14:37 コメント( 0 )  

2021年08月01日

あの頃、音楽界の罪人たち

FullSizeRender筒美京平が亡くなったのが、2020年10月7日。

亡くなった時、稀代の作曲家、ヒットメーカー、洋楽感覚に優れた作品の数々と、もてはやされ惜しまれた死だった。

その時私は「おいおい何言ってんの?日本の音楽愛好家諸君」と思っていた。
というのも、彼ら(そう当時の筒美京平的大御所諸氏)が、日本の音楽シーンを10年遅らせたと思っているからね。

そう思ってたけど、筒美京平が亡くなった時には流石に書けなかった。
でも最近、私の2020年3月18日付のブログ(亡くなった日の半年前か)が最近読まれた形跡があったので、そのことを書きたくなった。
筒美京平を「パクリ」扱いしているブログね。

当時、1960年終わりから1970年初めにかけて、筒美京平的な時代を先取りする?作曲家が目立った。
彼らのおかげで、いやせいで、日本の音楽シーンは停滞したのだ。

「モナリザの微笑み」(タイガース・1967)すぎやまこういち作曲
「バラ色の雲」(ヴィレッジ・シンガーズ・1968)筒美京平作曲
「長い髪の少女」(ゴールデン・カップス・1968)鈴木邦彦作曲
「エメラルドの伝説」(テンプターズ・1968)村井邦彦作曲
「さらば恋人」(堺正章・1971)筒美京平作曲
等々

「グループサウンズ」ブームが3年くらいの短い期間で終わったのも、彼らのせいに違いない。
ギターを抱え歌うカッコイイ?若者達に、まるで「歌謡曲」を歌わせるんだもの。

アマチュアぽっと出のミュージシャン?に、大御所作曲家の歌を歌わせるのは、
「バラが咲いた」(マイク真木・1966)浜口庫之助作曲
あたりが走りかな?

私自身期待のフォーク歌手マイク真木が歌ったのが「バラが咲いた」で、がっくし来たよ。
どこがフォークなの? この歌の?
「花はどこへ行った。Where Have All The Flowers Gone」のパクリにもなっていない。

なんてね。
フォーク嫌いの私だけど、当時マイク真木のアルバム「バラが咲いた」を買って、擦り切れるほど聴いてたさ。

それで私の音楽の進歩が遅れたのさ。

brother_p at 21:00 コメント( 0 )