2008年03月10日

Formosa! 台湾。その65「蘇る、日本の味」

0105柿の葉寿司.jpg飛行機は無事関西国際空港に着いたのだが、その機内食は3人とも食欲ナシ。

入管をすませ、替えそびれた外貨を日本円に替えている間、だいぶ二人をお待たせだ。
I橋くんは愛機で、仕事だか彼女だかの連絡を取り続けている。
それとなにやら二人は話し込んでもいた。

その話の内容は、一目散に岡崎まで帰路を進め、岡崎で刺身と冷酒という作戦だったような。
でもやはり、帰りの近鉄!あたりで軽くビールと何かもつまみたい。

ラピードを降り、近鉄に乗り換える難波駅構内に格好のアテがあった。
「柿の葉寿司」だ。
柿の葉寿司とビールを適度に買い込み、近鉄車中の人となった。

柿の葉寿司は私も好きだが、I橋君も好物のようだった。
そう言えばI橋君が無口、久しぶりの日本の味に浸っていたのか。

往路、最後の日本食として食べたそばの味。
帰路、最初の日本食として食べた柿の葉寿司の味。
台湾メモリアル!  

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Formosa! 台湾。その64「連載終わったつもりが、追加みやげ話」

0105お土産第63話最終回で終わったつもりが、同行者からのクレームで復活。
復活の理由(わけ)は次話で。

出国手続きを済ませ、二人は私には無用のお土産ショッピング。
と言っても、二人もそんなに買うわけじゃないけどね、私が買わなさ過ぎ。
K彦さんはO谷さんから頼まれた「バレンタインの12年(?忘れた)1本とナントカ紹興酒2本」探し。
「バレンタインじゃないよ。バランタイン(Ballantine's)」だっちゅうの。

酒通ということで、銘柄年代指定。
海外旅行通ということで、3本。
それはいいけど、「バランタイン」だっちゅうの。

ところが、お目当ての紹興酒は3本セットのみ(バッグみたいな余計なオマケがついてたが)。
免税を超えるので、K&I二人で分けて日本へ持ち込みとなった。

写真は、ダンヒルの洒落たパッケージと、免税店員の接客アンケート。
「最高のサービスを追求」  
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2008年01月13日

Formosa! 台湾。その13「快適な列車の旅」

0102車中レギュラーサイズの缶ビールは、飲兵衛の3人でなくとも瞬く間に空となる。
それだからではないが、コンビニで買ったおつまみはほとんど手付かず。

一口は食べたが、それから進まぬK彦さん、手も付けないI橋くん。
「台湾味」はこの不名誉のまま旅の終わりを迎えてしまうのだろうか。

ゴルゴ13を読むK彦さんと私。
何を夢見てるか、ひたすら眠るI橋くん。

静かな長距離列車内、ケータイ電話の派手な着信音と遠慮ない会話だけが耳に入ってくる。
DS「もっと英語漬け」を、イヤホンなしで音を出してやってしまおうかという衝動にもかられる。
いやいや、これは一人旅ではないのだ。
これ以上、他の2人を疲れさせてどーする。

行けども暗闇、特急停車駅も暗闇の中。
花蓮の町は?
食べるところあるのか?

写真は切符ホルダー。
大きい切符は携帯し、小さい切符は寝てる間の検札用にホルダーへ。
I橋くんが教えてくれた。  
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2006年10月28日

「こうちゃん」の誕生日

こうちゃん10月28日、本ができた。
「こうちゃん」、戦争体験を伝えたくて、数学の先生が70代にして初めて「童話」を書いた。
自分の戦争体験、文だけでなく絵も描いた。

「こんな素人の文章ではずかしいなあ。だいじょうぶかなあ。マズイところがあったら直してください。」
確かに、章毎に話は時空を飛んで、編集したウチの社員も「大丈夫ですか?」って言っていた。
それを聞いてわたしも少し心配になっていた。

ところが、母は食い入るように読んでいた。
読解力があるのか、共通体験からか。

どちらにしても、うれしいことだ。
作ってよかった。

その、こうちゃんこととよしまのりあきさんの、今日(28日)は誕生日。
よかった。  
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2006年10月15日

トムとエミちゃんのバラード(チュウーイとガミーの物語)-4

瓦礫台湾大地震があってしばらくしてトムくんから電話が入った。

あ、そうか。
台湾から帰ってきて、落ち着いたからまた一杯やりに来ないか、ということか。
トムの一杯はだいたい8時間コース朝3時までだから、ヘビーだなあ。
そんなことかと思ったが、実は「Help」コールだった。

台湾は大変だったらしい。
しっかり現場は与えられたが、崩れかかった建物から被災者を救助する。
余震の危険も残っている。
救助に入った者が被害に遭ってしまう。
死の恐怖と戦っての決死の救助。
そして、生きて助け?出される被災者はほとんどなし。
トムくんチームも、遺体をいくつもいくつも助け出しただけだったと言う。

帰ってきて、それがずっと自分の中に留まっていて、眠れない日々だというのだ。
数々の死体の有様、生きて助け出せなかった未達成感、現場での自身の死の恐怖。
PTSD・心的外傷になっちゃった、とか言ってた。

そんな時呼び出されるのが私の役割ならば、それもありがたい。
持つべきものは、トム。じゃなくて友か。  
Posted by brother_p at 17:46Comments(0)TrackBack(0)