岡崎城南ロータリークラブ

2021年03月04日

ミャンマー支援は、水泡に帰したわけじゃない。

IMG_9808 ミャンマーは、時代が逆戻り。

岡崎城南ロータリークラブは、1999から20年間国際奉仕として、ミャンマー支援を重ねて来た。

当初は、ミャンマーを訪問すると軍の人がついて来たり、賄賂が必要だったり。
でそれも減って来て、民主化と経済発展を遂げて来たんだけど、今回のクーデターでだいぶ後戻り。

でも、うちのクラブの奉仕活動の積み重ねも、振り出しに戻ったわけじゃない。
民主化の力となるように、学生を育てて来た。


彼らが今、デモに並んでいる。


brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2021年02月06日

皆さんより2日多いミャンマー訪問記(2019年にタイムマシーン)

BE986487-7858-4C34-A1B9-589FEB7E8EAFこのミャンマー訪問記は、2019年6月6日から12日の7日間の記録である。
実際、このブログに書いているのは2021年2月6日、1年9ヶ月後。

なぜ?
それは2021年2月1日、ミャンマー国軍のクーデター。

その状況を伝えるミャンマーの友からの動画をfacebookでシェアしたのだが、しばらくして削除されていた。

タイムマシンのような書き方になってしまうが、その当時をブログに記録しよう。
以降は、実際の日付(2019/6/6-6/12)のブログとして書き込もう。
当時は同時進行でfacebookにレポートしていたが、ブロブには残していなかったのだ。

今更だけど、記録しておくことが必要だなと思って。

つい最近までのミャンマーの平和な状況を記録し伝えることで、今のミャンマーの窮状を理解する助けになるかなと。

後はリアル日付2019/6/6〜のブログで。

brother_p at 00:02 コメント( 0 )  

2019年06月12日

再度再入国? 帰国(6/12)

帰国。

入管は、「自動化ゲート」でスピーディに。

機械にパスポートをかざし、顔を撮影して終わりだ。
感心して立ち止まっていたら、出口の自動ドアが閉まって出られなくなった。
やむなく、もう一度やり直し。

私は2度入国した記録が残るのでは?

再度再入国。

ただいま。
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brother_p at 19:00 コメント( 0 )  

さて帰路、15時間かけて帰ろ。合間に「まとめ」

IMG_4421ヤンゴン空港、夜中1:25のフライトまで3時間以上待って。

途中香港空港では、4時間待って。

でも、こんな時間嫌じゃない。
旅のまとめでもすべえか。

IMG_4422とにかく、旅は「人と会うこと」「現地のものを食べること」(そして「飲むこと」)だと思う。
だが、ともすればカノ国の一定数の方々は、せっかくの非日常体験なのに、「日頃と同じ」を望んでしまう。

特にこの旅は、、
あ、ディスっちゃったかな?

これは、国際交流・海外支援も同じかなと思う。
実はそれがあって、今回のミャンマー訪問は別行動をさせてもらった。

岡崎城南ロータリークラブのミャンマー支援も、2018年で一区切り、時の国際奉仕委員長を仰せつかった私としては、やはりディープに現地に入り込んで、次のミャンマー以降の国際奉仕活動のヒントにもしたかった。
なーんて、偉そうに。お許しを。

IMG_4430さて、帰路。

ヤンゴン空港を発って、香港空港。

ここで、結局乗り換え3時間以上待ち。
往路では、カートで駆け抜けたなあ。

IMG_4423でも、こう言った時間、嫌じゃない。

さあ買い物でも、なんて
行くもんかい。

今回の旅行も、何も買ってない。

「幸せは、安上がり」(有難き社長の言葉・アリシャチョより)

brother_p at 05:00 コメント( 0 )  

2019年06月11日

これはじゃんけんではない。ピースなのだ。(6/11)

IMG_0967旅も帰路、ヤンゴン空港へ向かう。
夜中1:25発のフライトだ。

空港に着く前に、最後の会食。
「Golden Duck」と言う名の、大きなレストラン。

IMG_0965モー君(彼は私と岡崎まで同行)とモー君のお父さんと、タクシーの運転手さん。

運転手さんもお願いして、一緒に食事。
いろんな人と話したいものね。
恐縮しながらも遠慮なく、同席してくれた。

IMG_0966お別れに「ピース」(お利口にグリコ)?
これじゃんけんじゃないよ、お父さん。

今までのミャンマーでは私の、
「I Love Myanmar, I Love Myanmar BEER」
が定番だったが、今回から「ピース」が加わったのだよ。

「ピース」も、指を立てて(若いお嬢さんは頬あたりに押し付けての小顔作戦)の日本流じゃなくて、アメリカ仕込み?の本格派「Paece!」横向き(写真参照)なのである。

私はこちらを推奨し、流行らせようとしているのだ。

brother_p at 22:56 コメント( 0 )  

空港に向かう前、モー君の奥さんカインさんの実家を訪ねる。(6/11)

IMG_0952空港に向かう前、モー君の奥さんカインさんの実家を訪ねる。
そこでは、甥っ子の小学生君と遊ぶ。

普段は子供と動物の嫌いな私。
それを感じて、子供も動物も決して私に近寄ろうとはしない。
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だが何故か、海外とか外国人の子供はなぜか懐いて来る。
モー君の娘、シュエちゃんもそうだった。

ここの彼とも即仲良しになった。

IMG_4416iPadの翻訳ソフトを使って、私にちょっかいをかけて来る。

彼は今、小学校とは別に英語学校に通っていて、英語が達者。
使いたくてしょうがないって感じで、私タジタジ。

発展するミャンマーの底力だね。

brother_p at 17:30 コメント( 0 )  

私が若い?(6/11)

IMG_4408ミャンマーで受けたジョークのひとつ。
現地の人に日本の紹介。
まず、
「私は今70歳です」
まず、ここでモー君が一旦通訳する。
「ほーぉ、そんなに年齢が行ってるんだこの日本人(私)は」という反応。
(若く見える、って意味だよね)

ミャンマーならもう死んでる歳?
そうミャンマーの平均寿命は65歳くらいなのだ。

私「日本は長生きの国で、平均寿命は男性が81歳、女性は87歳です。」
モー君が通訳、皆さん「ほー」
私「そして、毎年1歳ずつ平均寿命は延びています。」
ミャ「ほー」
私「だから、日本人は永遠に死なないのです。」
ミャ「ほーぅ、、、えっ!?」

なんてたわいもない冗談だけど、モー君の通訳が上手いんだよね。

IMG_4409ところで、今回の食事会。
モー君のご両親のお友達、との会食。
教育関係の仕事をされていた方々かな。

その方たちの年齢は、皆さんなんと驚きの80歳前くらい。
モー君のご両親と同世代。

いやー驚きだね。
ここでは、このジョークが通用しない。

IMG_4407ということで、おいしい食事とミャンマービールのプレミアムをいただいた。

というように、現地の人に会い食べ飲み語る日々です。
これぞ国際交流・世界平和活動だね。

どちらの国が正義か、戦って決着をつけるんじゃなくて、アチラの国には友人が居るってことの方が「世界平和パワー」でしょ。

brother_p at 12:00 コメント( 0 )  

今夜、1:25ヤンゴンを発つ。(6/11ヤンゴン)

IMG_4405ヤンゴンの朝、Summit Park View Hotel の朝食が楽しみな目覚め。
今夜、1:25ヤンゴンを発つのだ。
実質、ミャンマー最終日。

名残りを惜しみつつ、ここの朝食もそのひとつ。

IMG_4406海外旅行って言うと食事はスリリング、でもここの朝食は安定してるね。
食べすぎないように。

さて、今日はどなたと会うのやら。
会って、どんな話をするのやら。

brother_p at 10:00 コメント( 0 )  

2019年06月10日

日本から帰国したミャンマー人仲間と食事会(6/10ヤンゴン)

IMG_4403「仲間」って、モー君の仲間ね。

日本で勤めていたけど、今はミャンマーに帰国している仲間との食事会。
楽しい人たちで、盛り上がった。
会話はミャンマー語だけど、私のジョークもばんばん受けた。

IMG_4404対日本人じゃこんなに受けない、私。
モー君の通訳が上手くてね。
私のジョークのツボも、性格もよく御存知だから。
大したもんだ。
←悦に入ってる私、嬉しそうでしょ。

なのにモー君に「お前の日本語わからん。ちゃんと喋れ。」と、面と向かって言う日本人が居てね。
これ日本での話。
お前の日本語の方がよっぽどわからんわ。

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brother_p at 22:00 コメント( 0 )  

巨大なショッピング・モール、その2(6/10)

都会は、何でも手に入る。
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brother_p at 15:00 コメント( 0 )  

巨大なショッピング・モール(6/10)

IMG_4349ヤンゴンにある巨大なショッピング・モール。

まあ、こういった所も見とかないと。
発展した都会の流通施設と言った興味で、見てまわった。
まあ、あのミャンマーが、ヤンゴンが、と言った感じか。

著しい経済発展をしているが、私たちが支援している医療インフラ、教育インフラの整備が追い抜かれてしまっている印象。
経済優先、海外からもそう言った目で見られているのかな。

スナップ紹介。
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続く、、、

brother_p at 14:25 コメント( 0 )  

ヤンゴンを巡る。人と会う。(6/10)

IMG_4320初夜に泊まったのと同じSummit Park View hotel。

このホテルの朝食。変わらず、旨し。



IMG_4334今日は、今や大都市となったヤンゴンを回る。
人と会い、食事をし、語り、ミャンマービールを飲む。

私とミャンマービールとの親密な関係は、最初に訪れたころからの定評である。

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モー君の友人夫婦との昼食。

今回会う人たちはみんなノリが良い。
私の冗談で笑ってくれる。
気分が良い人たちだ。

ここは、ミャンマー料理店。
洗練されたミャンマー料理をいただける。
都会の料理といった味、メニューだ。
IMG_4330メニューに、モットーが書かれている。
メニューを、写真で紹介しよう。IMG_4331
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brother_p at 13:30 コメント( 0 )  

2019年06月09日

マンダレーから、ヤンゴンに(6/9)

IMG_0958シュエボーからマンダレーに、練乳屋さんのクルマで戻る。

昼食は、中華料理。
同席はモー君の知り合いの、現地の学生さん。
若い女性で、モー君笑顔。

夕方の飛行機で、ヤンゴンに戻る。
往路を逆に辿る復路・帰路。

ヤンゴンは、進んだ大都会となっている。

IMG_0953夕食は日本料理。
モー君の親戚のコーさんが経営している。
コーさんは、日本で学んでヤンゴンで開業した。
在ヤンゴンの日本人がよく利用されているという。
洗練された日本料理、ここがミャンマーとは思えない。

IMG_4312私は海外旅行で日本料理を殊更に求めるタイプではないが、このお店には感心した。
日本での日本料理に勝る味と接客だ。

ちなみにコーさんは、日本でプロレスラーもやっていたとかで、蝶野正洋と2ショットの写真を見せてくれた。

夜は更けて、雨季のミャンマーらしく大雨、やっと降る。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

シュエボー、蚊帳で目覚めて6/9。

IMG_0943きぼうクリニック蚊帳の中での2泊目、明けて6/9。

クリニック前の道路に、ヤギの大群、牛の一団。
朝の散歩、というか大移動。

IMG_0944今日は午前中、シュエボーめぐり。
まず隣。
ミャンマー支援を現地で取り仕切っている、練乳屋さん夫妻のご自宅。
居間に城南との交流の記録、そしてミャンマーでもその活動が評価され表彰されている様子が飾られている。

IMG_0945公式行事に使われた立派な結婚式場も、練乳屋さんの持ち物だ。

その後、シュエボーのきぼう奨学会のメンバーの職場訪問、奨学生の家庭訪問をする。

この季節、ミャンマーはマンゴの季節。
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いつもは雨季を避けて2月の訪問だったけど、最近は5月6月も。
おかげで、雨は降るけどマンゴーの季節。

そういえば、今回大きな雨に出会ってないなあ。雨季なのに。

IMG_0947きぼう奨学会メンバーのゾーさんの宝石店に行った。

お仕事も充実の様子、奨学生に力を貸そうという想いも伝わってくる。
ここでもマンゴーをいただいた。

ミャンマーの雨季は、マンゴーの季節。
シュエボーを回る。

brother_p at 11:00 コメント( 0 )  

2019年06月08日

地元の熱烈要望により、ビンゴ開催。

IMG_09366/8夜、ビンゴ大会。

毎年恒例行事となっていたが、訪問団の日程の都合で当初は予定していなかった。
しかし、地元の熱烈要望により開催。

日本より大量の景品を持ち込んだ。
IMG_0940ロータリーメンバーからのカンパ、100円ショップで購入など200点。

毎回異様な盛り上がりだ。

今回は、奨学生OBの二人の若いドクターの、歌とギター演奏が予定されていた。
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だが、ビンゴで景品を手にしたら皆さん帰ってしまった。

それでも「やってよ」と無茶振り、人のいないところで演奏となった。

IMG_0942私も人に振った手前、1~2曲。

動画が、どなたかのfacebookに載っている。
ここでの拡散はやめておこう。

brother_p at 20:30 コメント( 0 )  

図書館視察、その3

IMG_09332005年に出来たシュエボー第2高校の第4きぼう図書館。

ここにもさちこ文庫がある。
「C'S Shelf Donated By NORITAKE CHIEKO 2010」

IMG_0930わかった。「'S」の秘密。
「C'S」の「ちえこ」の「C」が欠けてたんだ。


当時の岡崎城南ロータリークラブ訪問団との公式式典の写真が、額に入れて飾られている。
城南RC会員の若き姿が写っている。

そして、玄関の柱には、
「DONATED By OKAZAKI JOHNAN ROTARY CLUB 4-2-2005」と刻まれている。

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brother_p at 16:00 コメント( 0 )  

図書館視察、その2

IMG_09292000年に作った第2きぼう図書館。
シュウエボー第2中学。

ここにも、則武ちえこさん寄贈の文庫が。
’S SHELF DONATED BY NORITEKE_CHIEKO
しかし、「'S」って何?

IMG_0928ここでも、遅れていったにも関わらず、大勢の先生たちが迎えてくれた。

こちらが少人数で申し訳ない思い。


brother_p at 15:00 コメント( 0 )  

Library KIBOH きぼう図書館

IMG_0920岡崎城南ロータリークラブは、過去5つの図書館を建てている。
図書館以外にも、校門の整備。道路の整備、井戸・給水設備(きぼうの井戸)など。
20年に渡る支援活動のうち、前半は環境整備、後半の10年は奨学生を育てている。

IMG_09252002年に、シュウエボー第一高校に作った Library KIBOH きぼう図書館。

予定時間よりかなり遅れたけど、にこやかに私たちを迎えてくれた。
ミャンマー・タイム、人の遅れにも寛容だが、自分も遅れる。
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図書館内には、当時会員の小野智範君の筆による「希望図書館」の額。




IMG_0922そして、当時会員の則武さんの奥さん寄贈の「ちえこ文庫」
’S SHELF DONATED BY NORITEKE_CHIEKO
とある。


brother_p at 14:30 コメント( 0 )  

行事終えて、スタッフと食事

IMG_0959私は城南メンバーと別れ、Kyawくんと二人居残って非公式行事。
公式行事を終えて、スタッフでお疲れさん食事会。

この場に城南訪問団メンバーも居ればいいのにな。
IMG_0960と思いつつミャンマービールとミャンマー料理。
共に私の好物。

I love Myanmar beer. チャクア! と言いつつ飲み続ける。

IMG_0915午後は、かつて岡崎城南ロータリークラブの支援で建てた3つの図書館訪問団。

雨季とは言え、酷暑の
ミャンマー。
ビールなんてすぐ吹っ飛ぶさ。


brother_p at 13:00 コメント( 0 )  

公式行事・奨学生OBと再会(6/8)

IMG_0908この公式行事に参加した奨学生OB。

彼らとの再会も大きな楽しみ。
彼らも楽しみに、来てくれる。

岡崎城南RC会員の天野邦彦君が2006年にスポンサーとなっていた元奨学生テン・リン・アウン君。随分貫禄が出て来た。

IMG_09132013年のピュエ・ピュー・ティン。
随分美しい女性になっていた。
ミャンマーKIBOH奨学会の衣装を着ていて、更に大人の雰囲気。
そう永谷君に報告しておこう。
永谷君からのプレゼントはちゃんと届けましたよと。
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(後のことになるけど、2020年のミャンマー支援事業で、彼女を日本に招待する計画だったけど、コロナ禍で中止となった。タイムマシンのような書き込みー2021.2.8記)






IMG_42412011年に私がスポンサーとなったテッイ・ニン・イさん。

彼女は、公式行事には来られなくって、夕方からのビンゴ大会には来てくれた。
訪問前に「本が入るリュック」をリクエストされていたので、プレゼントに持っていった。

今回、私が珍しく持っていったミャンマーへのお土産は、日本酒750ml3本と、赤いリュック。

brother_p at 12:30 コメント( 0 )  

会終えて、学生とお別れ、訪問団ともお別れ

IMG_0911会を終えて、子供たちは帰る。
軽トラの荷台。
これはまだまだ変わってないなあ。

近所から来てる学生は、自転車で帰る。
バイクで帰る。

IMG_0910近所と言っても結構遠いけどね。






IMG_0912岡崎城南ロータリークラブ訪問団も帰る。
ワゴン車で。

そこから飛行機で、インレー湖に向かう。
(後で知ったけど、飛行機に間に合わなかったらしい。)

私とモー君は残って、行事のご苦労さん会、地元交流。






brother_p at 11:30 コメント( 0 )  

6月8日9時、きぼう奨学会公式行事

今回の公式行事は、現地の「ミャンマーきぼう奨学会」のプログラムの中で、

・岡崎城南ロータリーから寄付金4,000,000チャットの贈呈。これは前もって渡されていて、今回は成績優秀な地元小学生200人への賞品、文具・制服に充てられている。

・岡崎城南ロータリーがスポンサーの新奨学生 エイ ティ モン ミヤニイ への奨学金贈呈。

公式行事に集まった300人以上、盛大な会となった。
奨学生、奨学生OB、ミャンマーきぼう奨学会メンバー、地元の小中高生そして岡崎城南ロータリー訪問団がここに集った。

例年と違って小学生の子供たち、この子たちの中に将来奨学生に選ばれ、未来を開く子供たちがいることだろう。

まさに、ミャンマー「きぼう」奨学会。

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brother_p at 10:00 コメント( 0 )  

公式行事、ここで城南訪問団と合流

IMG_0879さて今から、ミャンマー訪問の公式行事。
ここで私は、岡崎城南ロータリークラブのミャンマー訪問団と合流。

昨日の準備の時の、私のアブナイ写真がSNSに流出した。

今回、現地の「ミャンマーきぼう奨学会」のプログラムの中で、成績優秀な地元小学生200人への賞品、文具・制服を贈呈する。

この小学生に与えられる制服を、昨日私が試着したのだ。

と、コスプレの言い訳。良い訳?
これがしたくて、前日に来た?

brother_p at 09:00 コメント( 0 )  

多少蚊に悩まされたけど、朝が来た。

IMG_0893IMG_0892多少、禍に悩まされたが、ぐっすりねむれて、朝を迎えた。
6月8日、ミャンマーKIBOHクリニックの朝。

IMG_0890お医者さんになった奨学生の働き場所として、きぼう奨学会in Japan(写真)の支援で10年前に出来た「きぼうクリニック」。

今は、卒業した奨学生の働き口があるので、休業状態。

IMG_0891そこに昨夜は宿として泊まったというわけ。

設立メンバーの写真がロビーの壁に掛かっており、私も顔を連ねているよ。

岡崎城南ロータリークラブのミャンマー支援の足跡がここにある。

IMG_0888早朝のミャンマーKIBOHクリニックの前の道を、ヤギの一団が通る。
牛の一群も通る。

さあ今から、公式行事だ。

brother_p at 06:00 コメント( 0 )  

2019年06月07日

今夜の宿は、「ミャンマーKIBOHクリニック」

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今夜の宿は、「ミャンマーKIBOHクリニック」。

岡崎城南ロータリークラブの支援で、10年ほど前に建てた。
その中の職員宿泊室に泊まるのだ。

IMG_0887ベッドには蚊帳、空調、トイレ、シャワー完備?

ただし、停電多し。
でも診療所なので、緊急の発電装置を備えている。
冷房なしのミャンマーの夜も辛いしね。

IMG_0886IMG_0885土間に置かれた桶に、洗面器が浮かんでいる。
オケに張られたお湯を、洗面器で汲んで、体に浴びる。
まあ何てまどろっこしいと思ったが、シャワー掛け流しよりよっぽど合理的だ。
水や電気の乏しい国にはネ。

そうわかると、「不自由」が急に「快適」に変わった。

brother_p at 14:00 コメント( 0 )  

ミャンマーきぼう奨学会・Myanmar KIBOH scholarship foundationの主要メンバー

IMG_0864明日の式典行事のチェック?を終えて現地の「ミャンマーきぼう奨学会・Myanmar KIBOH scholarship foundation」の主要メンバーと交流食事会。

というか飲み会。

IMG_0865お米屋さんのソーさん、こちらの希望奨学会の主力メンバー。

無類の日本酒好きで、後日の会に差し入れのつもりの日本酒のうちの一本「蓬莱泉」をここで開栓。
彼はもはや、日本酒研究家だ。
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brother_p at 13:13 コメント( 0 )  

行事会場の準備(6月7日シュウエボー)

D02F63CF-E208-408E-8269-6DC79F15BE22その後、明日の公式行事の会場に。
準備万端なのだがまだまだ深夜まで続きそう。

明日の朝、岡崎城南ロータリークラブの訪問団の到着を待つ。
とか言う私は、先乗りスコアラー?

42BA1A37-09CA-4012-87FB-0265190860D6今回私はミャンマー訪問団と同行せず、行きも帰りも別行動で、6/8朝からの公式行事のみ合流。

というのも、訪問団が公式行事や視察、奨学生とその関係者との交流にあまり時間を取れないので、私は先乗りし、居残り。

訪問団との合流も3時間!

行事に参加できなかったり各地に散らばった奨学生やOB、現地の「ミャンマーきぼう奨学会」のメンバーと交流という「勝手に全権大使」気取りなのだよ。

brother_p at 11:48 コメント( 0 )  

フルーツ、誕生会、英会話?(シュウエボー)

IMG_0856シュウエボーに着いた。
仏壇?とフルーツと陽気な女性たちのおしゃべりのおもてなし。

なんてったってマンゴー。
今が食べ時。

IMG_0857マンゴー、ジャックフルーツ、スイカ、パイナップル、そしてレペ。
実はこの中にひとつ、苦手なものがある。

それを食べると、自分はカブト虫かって思っちゃう。

実はここ、誕生日会の準備中の真っ最中。
IMG_0855主人公のお誕生日ちゃんが現れた。

綺麗にお化粧して、気持ちはしっかり大人の女性に入り込んでいる。

何語で話かければいいのかな?

Happy birthday. How old are you?
Thank you. と、彼女。迷答?
How old are you? と、再度。
It’s nine o’clock. (おっ、そう来たか)
How old are you? (期待が高まる)
I’m nine years old.(ピンポーン)

これを「英語がしゃべれる」というのだ。

ミャンマーの小学生、英語教育が進んでる。

brother_p at 11:00 コメント( 0 )  

いやー、ゆっくり寝られたよね。6月7日朝

IMG_08536月7日 サミットパークビューホテル。

いやー、ゆっくり寝られたよね。
昨日のトラブルのお陰で。

ヤンゴンのサミットパークビューホテル。
朝食旨し、ミャンマー料理。

IMG_0854まずはお粥。最後はココナッツラーメン。
おいしい。

もちろんその間、色々と。
これから食べ続けるミャンマーの食事に期待が持てる。

IMG_0956昼食は、京幸一(キョーキョーモー)君のご両親とタイ料理。
(えっ、タイ料理!)
随分と長い時間、ご両親とお話をした。
こんなに長い時間話したのは、20年間で初めて(⌒∇⌒)

その後、国内線でマンダレーへ。
練乳屋さん夫妻がマンダレー空港まで迎えに来てくれた。
シュウエボーまで車で移動。


brother_p at 09:30 コメント( 0 )  

2019年06月06日

その日のうちにヤンゴン空港に着いた。 --ミャンマー紀行

IMG_08526月6日 23:45 ヤンゴン空港

なんとか着いたヤンゴン空港。
なんだ、当初の予定通り時刻の到着だ。
23時45分到着。
でも最初の2時間は、セントレア お味仙で呑んだくれてたけどね。

で、正常なスケジュールに復帰したかと思ったのもつかの間、タクシーの左前輪がパンクした。
空港から出る前だったので、他のタクシーに乗り換え、深夜のホテル着だ。

この日のトラブルで今回の旅をどう占う?予測する?

まあ、吉兆でしょう。
不測を楽しむのが、海外の旅。

brother_p at 23:50 コメント( 0 )  

香港着、21時過ぎ  --ミャンマー紀行

IMG_0851香港着。

時間の上では、なんとかヤンゴン行きの出発時刻には間に合ったみたいだが。
広い香港空港、全力疾走しても間に合うか?

航空会社がカートを用意してくれた。
10分弱乗って、そこからバス。

まさかミャンマーに行くって感じじゃない人たちで満員。
501ゲートにたどり着いて、少なくとも搭乗は可能となった。

brother_p at 22:00 コメント( 0 )  

まだ、セントレア  --ミャンマー紀行

IMG_08502時間遅れの香港行きを待つ17番ゲート。

何やら私を呼ぶ声がする?夢の中。
眠ってしまっていたようだ。

目が覚めれば、もはや18時出発時刻。
生ビール3杯(いや4杯?)は飲み過ぎか。

ゲートも急に12番に変わっていたのだ。
17番から12番はかなりの距離、小走り。

brother_p at 18:00 コメント( 0 )  

6月6日、14時 セントレア --ミャンマー紀行

IMG_08486月6日、14時 セントレア

ミャンマーに行こうとセントレアに来たのだが、香港までの飛行機は2時間遅れ。
香港からヤンゴンの便に間に合うか際どい状態。

IMG_0849ひょっとして今夜は香港泊まりか?
ヤンゴン行きも1日遅れになるかも。
ま、つまり、日本で飲むビールが増えるか、香港で飲む酒が増えるか、ってとこ。
航空会社から500円の食券もらったし。
今夜はヤンゴンで、街ごと飲み尽くすつもりだったのに。

brother_p at 14:00 コメント( 0 )  

2日間多い旅にしたよ。--ミャンマー紀行

EFA937F7-87E7-4747-B676-12F911241E90今回のミャンマー訪問団の日程は、2019年6月7日〜11日の5日間。ところが私は1日前の6月6日に現地に入り、1日後の6月12日に帰ってくるという日程にした。

団体行動の出来ないオカダと思われるだろうが、以下の目的があった。

・訪問団の予定では、奨学金支給と交歓昼食会のみの公式行事しかなかったので、深く視察・交流がしたかった。
(結局、交歓昼食会もなしとなった。)

・先乗りして、現地行事の準備をしたかった。
ま、局団体行動が苦手なんだけどね。

そんなことで、同じミャンマーに居ても行動が別なので、訪問団に私の行動報告を逐一したかった。それから、城南会員、世界中の皆さんにもレポートしたかったので、毎日Facebookで発信し続けた。

今回の訪問記は、そのFacebookをまとめたものをここに掲載する。

ということで、
2021/2/6/6、このブログを当時の日付で(後付けで)書いている。2021/2/1、ミャンマー国軍のクーデター勃発。
今、当時のことを書き記しておこうと。

brother_p at 00:30 コメント( 0 )  

2017年05月30日

ミャンマー報告会@RC例会

image帰国翌日火曜日にRCの例会があったのだが、あまりに忙しいと1週間後の今日「ミャンマー訪問報告会」

S団長取り仕切りの各メンバーの報告に続いて、私に多くの時間(10分!)をいただけた。

「親パク」派と「反パク」派の抗争(香草)について、プレゼンをした。

S君にハーモニカを持って来させたが、歌う時間はなかった。

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brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2017年05月25日

ミャンマーで、足を食われた。

imageミャンマーは織布産業が盛んである。

織布工場もあれば、大勢の織姫さんたちの工房もある。
それが、街にまとまってあるのでなく、何十キロおいて点在している。

image家族で縫製の仕事をしている、家を訪ねた。

なんとそこのミシンは、ブラザーミシンばかり、それも数台。
年代物だが、バリバリの現役のようだ。

それを、なんとか写真に収めようとしていたら、
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「熱っ!」
足に激痛が走った。

何が起きたかわからなかったが、現地の人は冷静になおかつ慌てて(なんじゃそれ)対処してくれた。
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アリだった。

ミシンの写真を撮るのに夢中で、アリの巣を踏んでいたのだ。

imageアリの逆襲。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」アリのようだ。
(注:モハメド・アリ、あ、これいらんかった)

家の人が手当をしてくれた。
タナカを塗ってくれた。

これが、ミャンマーでの災難第二弾。
優しいもんだ。

brother_p at 16:44 コメント( 0 )  

2017年05月24日

えっ?ミャンマーで発症

花粉症歴の長い私だが、まるで治療も対策もしてなかった。

imageそれが近頃、「コンディションの良い日々を過ごす」ことに留意し始め、花粉症の薬を飲み、花粉症に効く甜茶を飲んでいた。

そこで、ミャンマー・タイではどうするか?
ネットで調べたら、ミャンマー・タイでは花粉は飛んでいないということで、薬も持たず茶も持たず出発。

image当初は順調だった。

だが3日目、ミャンマーの精米工場を訪ねた時、ナント突然発症したのだ。
出まくる鼻水、写真ではこの日から(お馴染みの)マスク顔が写っている。

最後の二日、バンコクではほどほどに治っていたが、中部国際空港でのバゲージクレームで荷物を受け取る際、またもや出血いや出鼻水。

それも、ミャンマーで発症した時の何倍もの鼻水。
5枚がさねのティシューから溢れ出る鼻水。

これが今回の旅の最大の災難?、やさしいもんだ。

brother_p at 14:56 コメント( 0 )  

2017年05月21日

豪華朝食ブッフェとシメは高級イタリアン、ミャンマー食の訪問記5/21

18527811_286470608425266_4965853693981443548_n「反パク派」の反撃は続くが、この頃には「親パク派」もしっかり洗練された味に飛びついている。

しっかり、パクチーを歯にはさげた(=挟まったままの意:三河弁?)ままね。

超高級ホテルの朝食は、豪華ブッフェ。すなわちエクスペンシブ。
「反パク派」は、「ここで食い溜めすればいい」ぐらいのことを言う。

でも私はやっぱ、質素なアメリカンブレックファースト的になる。
な〜んて、日和らない「親パク」は気取っているのだ。

この辺で、もはや私シンパなし?

この日、日中はタイの世界遺産など観光。
象にも乗った。
そして一休みした後、最後の晩餐はバンコクの高級イタリアン。

「親」も「反」も安心した味と、心配な支払いを胸に楽しい食事で時を過ごすのだ。

そして、ホテルでシャワーを浴びた後、0時5分のタイ国際航空で帰途に着くのである。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2017年05月20日

「反パク」派の逆襲バンコクの夜、ミャンマー食の訪問記5/20

image「ネズミは出るが水は出ない」ホテルに泊まる状態から、バンコクでの今宵の一泊(正確には夜中のフライトまでチェックイン状態なので、二泊。

「反パク」派には、逆襲のチャンス。

imageマンダレーから空路でバンコク到着後、先に帰国する二人(親パク)とお別れ。

残った6人(親パク2、反パク4)はこの夜の宿泊の超高級ホテルで一休みした後、今回の旅の1日目に下見を済ませた、バンコクの夜へと繰り出す。

まずは、日本食の店で腹ごしらえ、というか「反パク」派には安息のひととき、元気も回復?
私が、「肉が食べたい」と注文すると、「何ニク頼んでんのよ?」と攻撃してくる。
よっぽど辛い時間を過ごしてたんだなあ、と理解しつつもさらに「魚はいらない」と肉を。

その反撃も、日本酒の生酒が胃に収まった頃、穏やかとなった。
「やっぱ、日本食、日本酒だね」と満足していることだろう。

食事を終え、頃合と夜の街に消えるメンバーを横目で見て、私一人に。

ここで、「親パク」対「反パク」は2対4のはずが、1対5になったような。
いやいや、親パク一人は日和ったのではなく、人間の幅があるのだろう。

私一人孤独に、しばらく夜の街をぶらついた後(おんなじか)、ホテルに帰る。
タクシーを拾って帰ったのだが、チャットを全く持っておらず、ドルは受け取ってもらえず。

ホテルのフロントで47チャット分のドルを両替してもらい、タクシーに支払うことができた。
その額2ドル、超高級ホテルのフロントで、わずか2ドルを両替し、それもしっかり書類を書いて、ハハ。

お待たせしたタクシーの運転手君に2ドル分のチャットを全部あげたら喜んでた。
チャット残しても使わないし、使えないし。

brother_p at 23:30 コメント( 0 )  

2017年05月19日

ミャンマーは「太陽のあたる場所」その2、ミャンマー食の訪問記5/19

image(前項より続く)

高級北京料理レストランの個室に丸テーブル二つ。
ひとつに、岡崎城南RC御一行様8名、ひとつに、現地随行のお世話役さん達。

_SX425_歌う曲は「太陽のあたる場所」、ヨシヲスズキで練習中の曲だ。
腕試し、度胸試しなのだ。

アカペラ、手拍子で歌う。
イントロと間奏・後奏はハーモニカ。
ブルースハープを持って来た。

ところがこの手拍子、城南テーブルはノリが悪い。
ノリが悪いどころか、手拍子ができない状態、歌の邪魔。
かたや、ミャンマーテーブルはノリが良い。

途中で、城南テーブルのT君からタオルが投げられた。オイッ。
反パク派の領袖T君から。

かたや、ミャンマーテーブルは大喜びでスマホ動画を撮りまくり。
こうでなくちゃね。

歌の方はといえば、酔っ払っていたし(練習中の曲だし)、ハモニカ落とすし、ヘロヘロだったが、目的は達したじょ。

なんにしても、ノリが良かったので「合格」

ミャンマーは「黄金の国」と言われているが、希望あふれる「太陽のあたる場所」だ。

brother_p at 23:59 コメント( 0 )  

ミャンマーは「太陽のあたる場所」その1、ミャンマー食の訪問記5/19

image5/19マンダレーの夜、高級な北京料理のお店み連れて行っていただいた。個室。

北京ダックを始めとした洗練された料理、洗練された味。
ここの北京ダックは肉も食べるんだ!とか言いながら、親パク反パクを超えて箸が進んだ。
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でもまだ、香草怖しの疑心暗鬼の恐る恐る。

実はこの旅、ヨシヲスズキで歌うチャンスを狙ってた。
公式行事のあとの懇親会でと狙っていたのだが、ビンゴが長引いて出番がなかった。
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あれから2日たち、旅も終盤。
歌うならここと、スズキくんに無茶振り。

だが、そこは親パクのスズキくん。
お調子者のスズキ団長。

二人、立ち上がってアカペラで歌うこととなった。
いや、歌うこととした。(続く)

brother_p at 23:30 コメント( 1 )  

果物天国とりわけマンゴ、ミャンマー食の訪問記5/19

imageミャンマーは雨季である。

いつもは旧正月(アジアはこちらが主流)後の2月初旬に訪れていたが、今回の国際奉仕委員長・訪問団長のS君が、「過酷な季節に行ってみたい」ということで、5月下旬となった。

さすが「親パク派」「郷に従え派」。

ところが、まるで雨が降らない。
一度降ったが、夜中。

でも、ご安心を。
とにかく暑い、日差しも半端ないから。
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移動の途中で立ち寄る、機織り工場など地元の企業?仕事場や、奨学生の家庭訪問?
いや、立ち寄るのでなくて、「ソコ」に移動するのだけどね。

私たちが建設した施設の視察でも同様。
imageそこで、お茶とともに出されるのが果物類、それも決まってマンゴ。
この時期のミャンマーはマンゴで決まり。
熟して美味しい。

家庭にも必ずといって良いほど、マンゴの木が1本植わっている。

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このマンゴには、「親パク派」「反パク派」なく、手が伸びる。
「親パク派」の中でも、写真(K君とS君)のように、ラブラブ度が高まるのだ。

しかし、今思えばこのマンゴ他の果物類、切って皮も剥かれていたなあ。
以前、皮を剥いた果物も、食べるとお腹を壊すって言われてた。
水で洗うから、その水が汚れていてあたるってね。

今回は来てないけど、T生君なんて東南アジアを一緒に旅するときは、必ずナイフ持参だった。
(きっと彼は、反パク派だね。)

冒頭の写真は、街道沿いに店を出している果物屋台。
ここでは、マンゴを手で剥いて食べたよ。

といったマンゴづくしの旅で、一生分のマンゴ食べたサ。
内緒だけど、最後は食傷気味(で両派一致)

brother_p at 11:00 コメント( 0 )  

2017年05月18日

施設視察、家庭訪問、ミャンマー食の訪問記5/18

IMG_735419年のミャンマー支援の歴史のうち、前半は図書館・道路・水道等の建設・建築。
今回施設を訪れると、活用の様子、不具合・老朽化などがわかる。
また、岡崎城南ロータリークラブの名が刻まれていたり、当時の訪問団・式典の写真が残されていたり、感慨も一入である。

IMG_7347こう書いて来ると、お役目でがんじがらめの旅のようだが、そうでもない。
後半は、観光もある。

なんせ、長い距離を車で移動の連続。
学生も、この会のために数百キロをバスで駆けつけたり、バイクで夜通し走って来た学生もいる。
こちらも移動の間、地元の企業を訪ねたり、奨学生の家庭を訪問したりの連続。やっぱりお役目だらけかもしれぬ。

IMG_7500奨学生の家庭訪問の時も、家庭料理でもてなされる。
それもミャンマーのご馳走なんだよね。

ここでも、「親パク」「反パク」
箸の進む組と進まない組(スプーンか、ミャンマー)
この頃になると、お腹に入ればいい派(I倉君)が精力いや勢力を持って来たぞ。

さあ、明日は車でマンダレーへ。

brother_p at 23:00 コメント( 0 )  

朝食はモヒンガー、ミャンマー食の訪問記5/18朝

18620394_286675748404752_3884654089100901985_n5/18朝、昨夜の行事会場で朝食。
そこへ、昨夜都合で出席できなかった3人の新奨学生がやって来た。
そこで奨学金と来た記念品の授与。

授与するのは、ミャンマー訪問のきっかけを作り、また育ててくれたO田さん。
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ところが、男子学生(大学1年生)2人の後、女子学生になったらA会長が授与者に。
ちゃっかりK彦さん。

朝食は、モヒンガーという米の麺をいただく。

18556230_286675821738078_7139028154509554397_nこれが意外と、「反パク派」の「日本食が一番」のT君にも受けいてられて、「美味しい」とまで行って食べていた。

I倉君は、美味しいと感じてないにもかかわらず、お代わりしていた。
彼には、食物摂取が生きる道なのだ。
myanmar1
確かに、この麺おいしいよ。
ミャンマーの米は、チャーハンにしても美味しいし。
ミャンマーは、かつては世界一の米の輸出国なのだ。

「日本の米が一番」という人も多いけど、何も「米」というくくりで競うことないのにね。

種目を決めて競いたがる。
結論は「日本が一番」。

この旅は、「親パク派」と「反パク派」の香草のいや抗争(くどい)の旅。

「やはり日本が一番」派と「郷に入れば郷には従え」派。
4人対4人、がっぷり四つの抗争は続く。

brother_p at 11:36 コメント( 0 )  

2017年05月17日

うずら?に再会、ミャンマー食の訪問記5/17夜

image開けて2日目、5月17日は飛行機でタイのバンコクからミャンマーのマンダレーへ。
そこから車で4時間シュエボ、公式行事の開催地だ。
ここで、公式行事の奨学金支給・交歓夕食会がある。

IMG_2381到着すると準備万端、拍手のゲートで迎えてくれた。
ところが、地元の名士が遅れて来るとあって、宴席の準備も進んでしまう。
式典の始まる前に、食事が配膳されるは、ビールが運び込まれるは(ここからは、当然ミャンマービール)。
IMG_7210私の好物の鳥の(ウズラ?)丸焼き?丸揚げ?も並べられた。

ところがここで、「パクチー派VS反パクチー派」の香草いや抗争に異変が起きた。
反パクのI倉君が、「この鳥の丸焼きは食べられる。好物だ。」と言い出したのだ。

これは意外、反パク派の分裂か?と思ったが、川魚の丸焼き(写真)には手こずっていた。
ちなみにI倉君は、188cm、120kg、食べられるものはなんでも摂りこむ人なのだが。

brother_p at 23:00 コメント( 0 )  

2017年05月16日

タイでエビを釣る?ツアー、ミャンマー食の訪問記5/16夜

IMG_7157バンコクに着いてホテルに落ち着いた後、街に出て食事。
明日からへの英気を養う晩餐である。

エビから始まり、タイ料理の数々。
「タイでエビを食う旅だ」と誰かが私の持ちネタを言う。

IMG_7164ここは、SOMBOOM SEAFOOD レストラン。

美味しい料理(訪問団評価:星5つ)と美味しいお酒で(シンハービール)でテンションマックス。
良い旅になりそうだ。

ここではまだ、パクチー論争は勃発しておらず。

IMG_7172ホテルに帰ったら、タイの国王の遺影が飾ってあった。
亡くなってもう半年? まだ空位のままだ。

このホテル、バンコクの高級ホテル。
タイはやはり、東南アジアでは進んでいる国。

brother_p at 23:26 コメント( 0 )  

朝、バンコクへと発つ。ミャンマー食の訪問記5/16朝

IMG_7132今回の、岡崎城南ロータリークラブのミャンマー訪問団は8人。
私は撮影役なので、写ってないのだ。

お酒大好きが6人と、完全下戸1人、ほどほど1人。
果たしてどうなることやら。

パクチー大好き3人と、大嫌い4人、ほどほど1人。
果たしてどうなることやら。

この写真にもあるが、早くもパクチー入りカレーを食べる君(酒◯・パクチ◯)。
もう食べ納めと、和食を食べる君(酒◯パクチ×)。

チェックインを済ませ、搭乗を待つセントレアの朝のフードコートにて。
ここでは、6人がビール。

さあ、今回の旅。
如何なる飲食絵巻が繰り広げられることやら。

brother_p at 10:00 コメント( 0 )  

2017年05月09日

岡崎城南RC例会は「ミャンマー訪問団壮行会」

image岡崎城南RC、いつもの火曜日夕方からの例会。

本日は「ミャンマー訪問団壮行会」だ。
今回の訪問は、ミャンマーとタイで5月17日〜22日。
例会の写真を数えて、今回7名参加。

と、岡崎城南RCのfacebookに書いたが、実は8名だった。
自分を数えるのを忘れてた。

私? 本日欠席。
ロータリー例会に出ず、会社に来られた皆様をお迎えしていました。

従って、例会欠席。
先日の「13クラブ親善スポーツ大会」の応援が、メイク・アップになるらしい。

brother_p at 23:00 コメント( 0 )  

2015年07月19日

ミャンマーKIBOH奨学会総会と、あおい奨学会最後の総会

image本会を以って、あおい奨学会は2001年2月から14年間の役割を終える。
ミャンマーの14名の学生の支援をし、うち11名の医師を育てることができた。

これは、岡崎城南ロータリークラブ会員の近藤正俊くんの尽力に依るものと言っていい。
岡崎城南ロータリークラブが全国の他クラブに向かって、この支援活動を胸を張って伝えられるのも、彼のおかげだ。
感謝&ご苦労様。

その役割は、2014年スタートのミャンマーKIBOH奨学会に引き継がれる。
岡崎城南ロータリークラブの力を借りることの多かったあおい奨学会から、自立型のミャンマーKIBOH奨学会への移行だ。
日本(32名)とミャンマー(9名)両国に会員を持つ。

その二つの会の合同の総会が、7月17日夕方より開催された。
「もう引退する」と宣言した(にも;かかわらず)近藤正俊くんの取り仕切りで行われた。

総会の議事の後は、小宴を囲んで飲食と談笑。
私は体調不良(下痢〜風邪、つまり胃腸風邪?)でおとなしくしていたが、近藤くんから私に定番の振り。

「オカダくんは、軍事施設で干してあった軍靴を撮っていて、銃殺されそうになった」と近藤くん。
(かなり、盛ってある)
「われわれ訪問団のほとんどは下痢したのだが、オカダくんだけは一度も下痢したことがない」と近藤くん。
(その私は、2週間前から下痢が続き、その下痢は治ったが、咳が止まらぬ状態でこの宴席にを囲んでいるのだ)
そんなオカダくんも、体調不良いや急速度で回復途上なので、飲むのも食べるのも、騒ぐのも控えた宴だった。

brother_p at 11:57 コメント( 1 )  

2014年02月08日

今回の隊長、邦さん。ーミャンマー紀考(12)

画像1今回のミャンマー訪問の隊長は邦さんである。

岡崎城南ロータリークラブの国際奉仕委員長であるから、この大役?だ。
そして、ポッパ山征服を企てたのも彼。

常任隊長のデKさんは、今回なぜか不参加だ。

邦さん隊長に敬意を表して、ポッパ山をバックに記念撮影だ。
頭頂にモヒカンの如く見えるのがポッパ山頂、ミャンマーの土着信仰である精霊ナッ信仰の総本山である。
ーミャンマー紀考(12)


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