先日の久永先生を偲ぶ会で、私に声をかけていただいた大谷様より便りが届いた。
60年前、当時愛知学芸大学の学生だった大谷様は、文芸誌「みかげ石」の印刷をブラザー孔版社に依頼していたという。
------------------------------
ブラザーの岡田吉生さん 懐かしい人の御子息
縁がありました。久永先生のご本、製作ありがとう。
東岡崎の駅前で、二人の若い人ががんばる。
二人とも話好きでした。
ぼくらは二十才前の学生。
60年前のこと。
------------------------------
同封のコピーは、「みかげ石」創刊号の表紙とその奥付。
奥付には、
------------------------------
みかげ石 創刊號
昭和廿五年三月十九日印刷
昭和廿五年三月二十日印刷
印刷所 岡崎市明大寺町川端十九
ブラザー孔版社
------------------------------
とある。
ブラザー印刷株式会社はガリ版から始まった会社で、当時ブラザー孔版社として創業した。
その奥付のコピーには添え書きで、
「この一文字一文字を、だれがかいたのでしょう」
とあった。
多分、うちの父だろう。
「若い二人」とは、父と父の兄(私には叔父)。
父が制作担当、叔父が営業担当だった。
もう一人、制作(ガリ版書き)に山田さんがいた。
字は、山田さんかもしれない。
昭和25年(1950)3月は、私が昭和24年12月に生まれた直後。
その日にシベリア抑留から帰ってきた叔父と、ブラザーで商売を始めたのだ。
60年余の時を超えて、弊社の作った本の縁で、大谷様とつながった。
父と私がつながった。
父は、素晴らしい仕事を私に残してくれた。