2005年04月27日
ブラジル
山梨の○上社長から電話が入り、「今日から5月16日までブラジルに行って来ます。」だと。「日本語」「時間差・時差」「知的レベル」をキーに印刷ビジネス(とあいまいに表現)ができないか、ということで渡伯(って言葉ある?)。
昨年同時期に、○上社長と私とわが社のO君(まんま)の3人で、大連>北京>瀋陽に行った。3人のオリジナル視察旅行で面白かった。
当時の私は2年目のマスク(ユニ・チャーム製超立体マスク)、サーズのおさまった北京をマスク姿でうろうろしたのだが、反応もなければウケもせず、さみしかった。
このマスク、し始めた当時は「なんだ、それ」とか「からす天狗」とか、奇異の目で見られたが、今シーズンはなんとこのマスクの多いことか。印象だがシェア70%行ってんじゃないか、と思うほど。
やっと時代が私に追いついて、追い抜いて行くんだなあ。。。
2005年04月26日
ものづくり委員会
7名の社長さんの会だが、私は「紙を使いたがらない変な印刷屋」ということでお声を掛けていただいた。
この会を始め、商工会議所の会合には参加の機会が非常に多い。
近い(会社から3分)ということが私には大きな要素だが、商工会議所のエレベータは随分とゆっくりで、着いてから会議場までが長く3分以上かかったりして、ネタになる。
で、本当の理由はいろいろな社長さん(の昼の顔)に会えることで、これも社長である私の優先順位の高い仕事である。
2005年04月25日
部課長会議に出ました。
2005年04月24日
2005年04月22日
1980年01月01日
1955年10月、株式会社ブラザー孔版社は名古屋営業所を開設した。
テスト記事です。
Time Machine:ブラザー印刷
(この記事は、2020年5月15日に書いたものである。)
1955年10月、株式会社ブラザー孔版社は名古屋営業所を開設した。
場所は、名古屋市東区駿河町(テレビ塔下)、1951年2月の創業メンバーの一人、佐原言(賢治)所長ひとりからのスタートである。顧客開拓も従業員確保もひとりから始める。
1957年2月には、名古屋市昭和区紅梅町へ移転。
1957年6月には、本社より2名を異動、拡充を計っている。
翌々年の1959年4月には、営業だけでなく印刷作業も開始した。
名古屋営業所は設立間もないブラザー印刷(ブラザー孔版社)の発展に大いに寄与した。
名古屋という大きな市場に切り込み、苦労も多いが実りも多かった。
1967年3月、名古屋市瑞穂区駒場町への移転も、ブラザー印刷の事業拡張に伴うものだった。
その後、1996年11月、名古屋市天白区植田に移転、営業部門のみとする。
そして、2015年の事業再編に伴い、その年9月20日に閉鎖をした。開設からちょうど60年、ブラザー印刷での役割を終えたのである。
Time Machine:ブラザー印刷
(この記事は、2020年5月15日に書いたものである。)
1955年10月、株式会社ブラザー孔版社は名古屋営業所を開設した。
場所は、名古屋市東区駿河町(テレビ塔下)、1951年2月の創業メンバーの一人、佐原言(賢治)所長ひとりからのスタートである。顧客開拓も従業員確保もひとりから始める。
1957年2月には、名古屋市昭和区紅梅町へ移転。
1957年6月には、本社より2名を異動、拡充を計っている。
翌々年の1959年4月には、営業だけでなく印刷作業も開始した。
名古屋営業所は設立間もないブラザー印刷(ブラザー孔版社)の発展に大いに寄与した。
名古屋という大きな市場に切り込み、苦労も多いが実りも多かった。
1967年3月、名古屋市瑞穂区駒場町への移転も、ブラザー印刷の事業拡張に伴うものだった。
その後、1996年11月、名古屋市天白区植田に移転、営業部門のみとする。
そして、2015年の事業再編に伴い、その年9月20日に閉鎖をした。開設からちょうど60年、ブラザー印刷での役割を終えたのである。
Posted by brother_p at
09:49
│Comments(0)

