
facebookにアップしたこの写真に、長塚さんからのコメント。
「こんなのあったんですね!岡田さんのは品があるので好きです。」
「品」だって⁉ 照れっ。
あ、私に品があるんじゃなくて(私は常々、品が無いと言われる)、このマークに品があるってことなんだ。
これは、旧社屋の入り口の案内看板。
実は私、今会社にこもって「ブラザー印刷社史」の編纂をしてるのだ。
コロナ対策に最適軟禁状態で。
その中のエピソードが、この看板のこと。
以下に、全文掲載。
社史発刊前に、蔵出し。
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小林義明さんのこと(1996.8.27死亡退職・30年勤務)
小林さんは障がいを持っていた。会社ではABディックという小型オフセット印刷機を担当していた。身長の低い小林さんは、特注の踏み台に乗って作業をしていた。
ハンディキャップにチャレンジしていたのは仕事だけでなく、当時会社の教育に取り入れていた、「マネジメント・ゲーム(MG)」「脳力開発(NK)」「全員コンピュータ(MT)」にも積極的に参加していた。そして研修を受けているうち、その効果に感触を自覚していったのだろう。MG研修ではスチール椅子の上に上がり「23円!」と大きな声でコールし、脳力開発セミナーでは、寸劇で主役を務め、コンピュータも「社内OA大会」で発表するほどだった。
長年体に負担がかかっていたのか、1996年に入院・手術。経過は順調だったようだが、リハビリ中に帰らぬ人となった。30年の勤務だった。
亡くなってしばらくして、遺族の方がお礼に会社に来られた。退職金の一部を会社に寄付していただき、何か記念品をお買い求めくださいということだった。それと社員全員にお礼としてボールペンを一本ずつ。心のこもった申し出だった。感謝の気持ちが伝わってきてありがたかった。
当時会社は、道路からの入り口が狭く、わかりづらかった。幹線道路は交通量が激しく、入りづらかった。そこで、案内看板を建てることとした。
脳力開発の「明元素・暗病反」、その研修に活用していたキャラクターをデザインに採用し、記念の案内ボードは出来上がった。(1996.12.24)
その看板はそれから10年間、柱町福部池への社屋移転(2012.6.20)まで、ブラザー印刷のお客様と社員を見守ることとなる。
1992.11.29鈴木末明、小林義明、岡田起佳(故人)