←写真は、1992年3月30日撮影・岡崎公園。
当時、名古屋而立会の会長は吉川正敏さん(ヨシノ印刷社長・右から2番目)、確か次期会長が服部恭政さん(左端)。
その服部さんの(会長としての)企画に「而立会ソング」を作ろうという計画があった。
それまでは「而立会音頭」という曲があったが、「はあ〜ぁ、日本晴れだよ名古屋の城の」と始まって、なんとも古めかしい。
そこで、例会の終わりやパーティーの終わりにみんなで歌える若々しい歌がいい、ということだった。
そこで白羽の矢が当たったのが、作曲は棚橋泰仁さん(キング・コーポレーション社長)、作詞が私。
私は作曲のほうがよかった?のだけど、(評判の悪い、ゴメン)「而立会音頭」を作ったのは実は棚橋泰仁さんの父上。
だから、「息子が作り直す」ならば大義名分となろうという魂胆だったのだ。
このことは前にも書いたかな。
で、この写真の日1992年3月30日、吉川さん主催で岡崎で委員会が行われた。
その時、「而立会ソング」のデモ・テープというか、歌なしカラオケ状態のテープが棚橋くんの手により出来上がっていた。
それに、私が歌詞をつくり、歌を乗っけようという段取りなのだが、、、
岡崎公園の桜の下、ウォークマンでそのテープを聴いた服部くんの驚きの顔、「もっと歌謡曲っぽいというか、和っぽい曲を想像してた」。
吉川くんも同様、「これにどうやって歌詞をつけるんだろう?」
その不安を晴らすかのように、素晴らしい曲が出来上がった。
それから、30年も歌い継がれている。(参照:下記に歌詞)
あ、書きたかったのはこれじゃなかった。
そのエピソードにあった服部さんと会食する機会ができた。
水野勉くんから、3人で食事をしようと誘いが入ったのだ。
そして、9月11日名古屋の高級料亭!で会食をすることとなった。
今回のエピソードのもう一人の登場人物吉川さんも「服部さんがぜひ会いたい」ということで誘ったのだが、都合悪し次回に期待、となった。
ということもあって、今までになく「会って話をすることが待ち遠しい」状態である。
水野勉くんは、そういった場を作ることに長けてるなあって思う。
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