2010年07月06日

梅棹忠夫さん、逝去

0706梅棹.jpg「知的生産の技術」(1969)を書いた梅棹忠夫さんが亡くなった。
90歳。

「知的生産の技術」は、私にとって当時バイブルのような本だった。
むさぼるように読み、京大型カードもそこで知った。
多くの人がフォロワーとなり、「知的生産の技術」研究会なども生まれた。

その後、大阪万博跡地に出来た「国立民俗学博物館」の館長となられ、私も一時会員だった。

1986年に失明をされ、そのことを記した「夜はまだ明けぬか」を出される。
モンゴル訪問時、菌に感染したための失明とも言われる。

目が見えなくなり、氏の残した膨大な「京大型カード」の情報を観ることが出来なくなった。
耳が聞こえなくなったベートベンのような、と当時思ったものだ。

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