2021年02月07日

MrB-2:THE BAD BOYS 'MEET THE BAD BOYS'その2

FullSizeRender今回聴いて感激のこのLP。

このLPを買った当時(1973)は、聴いたけど正直ピンと来なかった。

当時リアルタイムのビートルズ真っ最中で、本物と比べるべくもないというか。
自分たちもビートルズやってるぞ的なこともあったし。

今回聴いてみたら、いい。痛くない。

歌の迫力は本家に劣るところがあるが、そら当たり前。
演奏もいい。完コピ(に近い)してる。

今回知ったのだが、メンバーも実力者揃いで、後に2人はオフコースに合流していたらしい。

FullSizeRenderジャケ裏に吉田拓郎が絶賛のライナーノーツ、ベタ惚れの長文を書いている。
(文末に全文掲載しておこう)

吉田拓郎は、自分の曲「ビートルズが教えてくれた」で、バッド・ボーイズにシングル・デビューさせている。
FullSizeRender
その曲の出来は気に入らない。
ここにリンクも貼らない。

どうしてそんな、グループ・サウンズみたいなことさせるのかなあ。当時は。

FullSizeRenderそう言えばつんくも、シャランQの演奏も録音もビートルズを目指していた(と今回知った)。

同じところに居たもの達が、違う道を歩み、またここで出会うって感じかな。

FullSizeRenderパラレル・ワールドを経て、ここでまたバッド・ボーイズに再会した。
そんな感じのLPだ。

つんくは違うけど。(まだ貶すかよ)


「パラレル・ワールド
 同源・分流・万波・一水」

なんとなく、そう書いておこう。

写真は、吉田拓郎のライナーノーツを囲んで、私の汚いメモ書き:

「1973.11.22(THU)長い間の禁欲のスエ、LPレコードを書いました。宍戸さんと桐明さんは、8-290のレタッチを朝までするそうです。鈴木さんはディーゼルの4pの3C/2Cの2,500ブ、12/1納のLayoutをして、明日の朝立石に届けるのです。そして明日は勤労感謝の日、もちろん出勤です。」

当時、印刷会社の工務係の私、それらしいメモである。23歳独身。


●『THE BAD BOYS に会った。』
FullSizeRender 友人である柳田ヒロや、きさらぎ Music Familyの和田 マネージャーから、「とにかく楽しいグループが出演して いるから来ないか?」と何度も誘われていた。
 話によると、なにやら、ビートルズそっくりだそうで、演奏し唄う曲も全部ビートルズ、客の注文で「アビイ・ロードA面からやってくれ」と言われると、あのビートルズのレコード通り、曲順まで同じにやってのけると云う。それでも、どうも腰が重い僕は、まあ、そのうち耳にし、目 そ にする事も出来るだろうと思っていたのだが……。
 僕 そもそも日本と言う国は、やはり、どこか違うのだろうか、スッキリと明るく笑えない人々がうつむきかげんに歩いている。僕とてその1人なのであるが、そんな我々に、まったく、夢のような話が持ち上がった。それも突然に。 1973年初夏の出来事である。
 1973年7月1日、早稲田記念会堂でのラヴラヴ・フォーク・カーニバルは、出演、西岡たかし、遠藤賢司、加川良、六文銭他、集まったファン8千人と言う、ものスゴイものだった。出演者はリハーサルのため、午前から、会場に集まりつつあったのだが、そんな時、僕は、この大変な出来事に直面してしまうのである。とうとう見てしまった、聴 いてしまったのだ。ザ・バッド・ボーイズの姿を、唄を。言葉に出来ない喜びが、そこにあった。誰かと共に手をた たきたい、そうなのだ、1人でいるのは、もったいない。 僕は周囲を見渡した、が、ファンは、まだ会場の外で長蛇 の列、「アー早く入れてやれよ。早く一緒に聴こうよ。」その時の、ともかく言葉に出来ない喜び、嬉しさは絶対に僕1人のものではないと思ったのだ。
 そうだ、やっと我々にも夢を分けてくれるグループが生まれたんだ、自分だけで1人じめにスルのは、もうやめだ。
 皆で夢を見る時間を与えてくれる。
 ビートルズを初めて知った時の感激は、やっぱり忘れ難 いものだ。それと、これと比較するとか、そんな小さな話 はやめよう。
 絶対に彼等は夢を持っている、与えてくれる。うつむい て歩いて行く事が時には、つまらない事だと教えてもくれ る。

●THE BAD BOYS メモ
ジョン 1951年2月3日生/リズムギター、ハーモニカ、ヴォーカル
ポール 1950年11月25日生/ベースギター、ヴォーカル
ジョージ 1950年2月10日生 /リードギター、ヴォーカル
リンゴ 1952月4月6日生/ドラムス、タンバリン、ヴォーカル

 関西弁の4人組、一度、会ってみるといい。可愛いいと 思う人もいるだろう。ヒネクレた奴等と思う人もいるだろう。そのヒョーキンサに思わず、吹き出す人もいるだろう。だが、その1っ1つが全部、我々には捨て難い夢である事を確信する。
 好きな様にやれ、気ままに唄え、それでも、我々ファン は、ザ・バッド・ボーイズに夢をたくし続けるのだから。
 そして、この4人組を、大阪のディスコで発見し、夢を 追って東京へ連れて来た上野マネージャーと、気ままなレ コーディングに夢をかけた新田ディレクターに心から賞賛をおくり、又、感謝したい。何故なら、僕は、もう、うつむいて歩く事をやめようかな?と思い初めたからだ。
                        (吉田拓郎)