8月12日、森英恵さんが亡くなった。96歳。(1926.1.8ー2022.8.12)
訃報を聞いて、歳を知って、私の年齢(72歳)を引いて、「あと何年?」を計算してみる。
私はそんなお年頃。
強がり言っても他の老人(失礼)と変わらぬ私、常識人じゃんって思う。
森英恵さんは、戦後のファッションデザイナーの世界を常にリードし、見守って来た方。
そして他のデザイナーに際立って、セレブなデザイナーだった。
孫の立ち振る舞いを見ても、それが感じられるね。
とは私の感想。
1960年代、多感なオカダ少年に影響??を与えていたファッション・デザイナーが思い出される。
コシノ・ジュンコ(1939.8.26生ー現在82歳)オカダ少年15歳当時は、25歳。
こんなファッション・デザイナーがいるんだと思った。
山本寛斎(1944.2.8生ー2020.7.21没76歳)オカダ少年15歳当時は、20歳。
大きな影響を受けた。
そのことは、2012年10月8日付のブログに書いた。
ドン小西(1950.10.9生ー現在72歳)同い年、おまけ。しかし、考えてみればその時代、オカダ少年に一番影響を与えたのは、石津謙介氏かもしれない。
日本の若者に「アイビーリーグ・ファッション」を流行させ、文字通り「ファッション・リーダー」だった。

石津謙介(1911.10.20生ー2005.5.24没93歳)オカダ少年15歳当時は、53歳。
ビジネスでも脂が乗り切っていた頃?
当時の若者向け2大週刊誌「平凡パンチ」「プレイボーイ」、特に「平凡パンチ」のグラビア紙面は、アイビーファッションの若者で溢れていた。
彼の経営する?「ヴァン・ヂャケット」ブランドの洋服を着た若者でね。

大橋歩(19406.16生ー現在82歳)その平凡パンチ、表紙を飾っていたのは、大橋歩のイラスト。
ファッション・デザイナーではなくて、イラストレーター。
彼女の描く表紙が「平凡パンチ」の売り物だった。
アイビーファッションをまとった若者のお尻のポケットには「平凡パンチ」、そんなイラストでね。
当時のオカダ少年の愛読書となっていた「平凡パンチ」だが、オクテなオカダ少年はアイビーファッションをまとうことはなかった。
大学入学で上京した1968年にわずかにアイビーファッションを掠るのだが、もう1968年秋には下火となっていた。
1968年大学初の夏休みは「裾幅12cm」のジーンズ(当時はG-パンと呼んでいた)で過ごしたが、大学に戻った秋には、「裾幅40cm」のパンタロン(当時そう呼んでいた)を履いていた。
28cmの高度成長時代。
服装も「VAN」は掠って、好みは「JUN」へと変わる。
色気づいたオカダ少年は、ファッションリーダー気取りだったようだ。
岡崎の田舎もんがね。
な〜んて、森英恵さんから「昔話」になっちまった。
長文ごめん。