30〜40代、印刷会社の経営者として過ごした名古屋而立会、その仲間の一人Fさんが亡くなったのが2年前。私より数年年下なのだが
葬式の記憶も薄れていた。
そこに届いたO君からの「Fさんを偲ぶ会 #2」の案内メール。
えっ、2回目の偲ぶ会?と思いつつも、私自身の病院通いスケジュールを確認した上で、遅ればせの出席連絡をし、出席した。
土曜のお昼、名古屋栄のバーに十数名が集まった。
而立会の同時代に時を過ごしたおっさんたち、いや今やおじいさんたち。
Fさんの奥さんと息子さん出席の前で、飲みつつ仲間の思い出話に花を咲かせた。
奥さんと息子さんに、かつてFさんが親しくしていた仲間のそんな(飲んだくれた)姿を見てもらう会となっていた。
偲ぶ会という名の、同窓会。
人が亡くなる淋しさや重みは、本人よりも残された人の問題なんだなあとつくづく思った。
特に身内を続けて亡くしたり、同輩たちの訃報を聞くことが多くなった近頃の私にとって、死生観が実感するものとなって来た。
あまりFさんを偲んでの言葉も吐けなかったが、この会に誘ってくれた世話役Oくんに感謝。
大事な役割だね。
帰り際に息子さんから「本日はありがとうございました」と引き物を戴いて、改めて「あ、Fさんを偲ぶ会」だったんだと、確認した。
いいんだよねそれで、Fさん。