神戸からのH川君、3度目の来訪。今回は、スタートをブラザー印刷の現社屋(2006年竣工)から、5回の移転を繰り返した移転の歴史を逆にたどる。
3度目ともなれば、さすがに私の過ごしたブラザー印刷を訪ねないわけには行くまいと覚悟?しての訪問記。

まずは、社屋の周りの閑静な住宅街・公園、そこに保存されている明治30年竣工、変遷を経て現在地に設置された「旧愛知県第二尋常中学校講堂」ピンクの素敵な建物を紹介。
誰も知らないピンクハウス。
さてと、エントランスの「父を模した石彫」を紹介し、緊張のピンポン・入館。だって、もう部外者だし。
プレゼン・ルームで、社屋建設の経緯・意義を紹介し、セキュリティースペースの多い会社の差しさわりのないところを紹介。
M%=70%の製造会社の説明もね。
水野うんぽーは「ブラザー印刷は、PQ≒MQの会社」と言ってた。
そして恒例のニシミ・コージさん作のアートの前で、恒例の記念撮影。思えばこれも、久しぶりだなあ。
それから歩いて、逆に辿るブラザー印刷社屋の旅。
全行程4キロを歩いてね。
2000年当時、イオンをじゃましていた社屋跡地へ。
今はイオンの駐車場D地区となっている。
それから今回の社屋ツアーのオプションとも言うべき「ディティピ・ディティピ / DTP. DPT.」のあったビル。過去、いろんな人に紹介した移転の歴史だけど「ディティピ・ディティピ 」の紹介は珍しい。
←(写真)当時桜咲くチェリータウン。
←(写真)当時の私のデスク。当時ブラザー印刷はMGを元に1988年分社から分社経営をしていて、その10数年の経緯と終焉の理由を伝えることが出来た。
これって私、初めて語った?
なんせH川君、全国のMG探訪の日々なんでね。彼に語ろうと思った。
その後、警察署の裏にある社屋跡はそそくさとこなして、その前の社屋へ。
ここは今私の遊び場「中学生オカダ少年の勉強部屋」と呼んでいるが、実際私が高校生まで暮らしていた実家でもあるのだ。
そしてここでナント私とH川君は、私のMG時代の総括と言うか、撮りためた写真に写るMG関係者のデータ化という「作業」に取り掛かってしまったのだ。
膨大な写真の数、神戸に帰る時間まで続けられたが、わずか1985年から1988年の3年間分しかできなかった。
次回、H川君が来ることがあれば、一日中かけて写真の調査と、続いてMG関連テープ(300本? もっとか?)のアーカイブ化なんぞをすることになるのかも。私の生涯前半戦の総括に付き合わすのも申し訳ないが、彼の「MGレジェンド訪問」というか「MGおやじ狩り」の役に立つのではないかと、マジ思っているのだ。
わたしのところでつまずくことのないようにね。
若者は終電で神戸に帰って行った。