
その一本がこの「めもらんだむ '74 / Yoshio Okada」、タイトルの通り(違うか?)49年前の録音。
当時、就職して結婚して、バンド活動からも遠ざかっていた頃。
生活の中で、なんとか続けていた「音楽生活」の記録だ。
アーカイブの為、聞かずにひたすらだデジタルにダビングすることが多いが、このテープばかりはしっかり聴き込みながら作業をした。
他にも、
大学時代のバンド「Musty Molds ますもる」のライブ・テープ
1985年頃のバンド「ザ・サーティーズ」のライブ・テープ
とか、
多分1967年、学園紛争のバリーケードの中の無人の教室での練習テープ。
自分(私)が入っているテープが続々。
キリがないほど。
(その辺、また後日退院後レポートしよう。退院後があれば)
こう書いてくると、入院前の不安を紛らわすために、「思い出」に浸っていると思う人あり得るだろうなあと思って、敢えてその話題。
心を落ち着かせるとか、もしやの時のために「思い出」を確認しておきたいとか、、、
そんなんでは全然ないよという報告は書いておきたくてね。
まじ、入院・手術の不安はなく、リラックスした日を過ごしている。
全身麻酔の手術を控えているので、意識が戻らないままということも有り得る。
でも本人にとっては、自然に?意識のない世界に行ける、本人にとっては大事じゃないって思っている。
意識は残るという説の方もいるが、それはこれと論点が違うね。
意識は残るという説は、不安の裏返しだよね。
(あ、論点を合わせちゃった!)
「その時はその時」と思って、心は平穏なのだ。
その心持ちを、こっそり手術前に書き記しておきたくてね。
でも形だけは、
「May we meet again」と記しておこう。