

ブライアンと言っても、ブライアン・ジョーンズ(当時ローリング・ストーンズのリーダー)でもなければ、ブライアン・エプスタイン(当時ビートルズのマネージャー)でもない。
共に1969年、1967年に亡くなっている。
ブライアン(Brian Wilson)は、ビーチ・ボーイズのリーダーだった。
心身の健康状態の悪化から、アルバム「Pet Sounds」「Smile」を遺して、1967年グループを去る。
1963年中学2年生のオカダ少年の耳に届いたのは、ラジオから流れるビートルズの「抱きしめたい」とビーチボーイズの「サーフィンUSA」。
ビートルズには言うまでもなく衝撃を受けたが、ビーチボーイズからも勝るとも劣らぬ衝撃。
続いて「I Get Around」を聴き、更にビーチボーイズに惹かれて行った。
そして、エドサリバン・ショーに出演(1964)のライブ映像を見ることとなる。
そこには、カッコいいアメリカンなバンドが映し出されていた。
中央でベースを弾きながらリードボーカルをとる長身のブライアン。
ビーチボーイズのメンバーはウィルソン3兄弟(ブライアン、カール、デニス)と従兄弟のアル、そして友人のマイク。
正に、そのお兄ちゃんブライアンが率いるバンドが、ビーチボーイズなのだ。
それまでのアメリカン・バンドからダサさを取り除いたのがビーチボーイズって感じだった。
そして、ビートルズの曲と同じように、歌を覚え歌詞を覚え、歌詞カードを作り、歌って楽しんでいた。
だが、ビートルズと違って、バンドのレパートリーとすることはなかった。
それは、ビーチボーイズのハーモニーが複雑で、再現には人数を要することがあったから。
(ビートルズのハーモニーも充分複雑だけどね)
近頃、リハビリーズで演った「California Girls」くらいなんだけど、やはり二人じゃ荷が重い。
そして「God Only Knows」(1966)まさに神曲。
この曲を残して、ブライアンはビーチボーイズを去る。
この「神のみぞ知る God Only Knows」はいまだに私の課題曲として仕掛品となっている。
と書いてきたけど、それらは1962-66年の数年の出来事。
その短期間の中で、ビートルズと共に、そしてビートルズ以上に変貌を遂げたブライアン・ウィルソンとビーチボーイズ。
私は、長い60年にも及ぶ期間、その恩恵に預かっていたわけ。
そしてこれからも。